荷物検査は本質ではない 東海道新幹線火災から考える杉山淳一の「週刊鉄道経済」(1/4 ページ)

» 2015年07月03日 08時00分 公開
[杉山淳一ITmedia]

杉山淳一(すぎやま・じゅんいち)

1967年東京都生まれ。信州大学経済学部卒。1989年アスキー入社、パソコン雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当。1996年にフリーライターとなる。PCゲーム、PCのカタログ、フリーソフトウェア、鉄道趣味、ファストフード分野で活動中。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。著書として『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』『A列車で行こう9 公式ガイドブック』、『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。 日本全国列車旅、達人のとっておき33選』など。公式サイト「OFFICE THREE TREES」ブログ:「すぎやまの日々」「汽車旅のしおり」、Twitterアカウント:@Skywave_JP


 東海道新幹線には「安全神話」がある。1964年の開業以来、乗客の死亡事故ゼロ。だから新幹線は安全ですよ。この神話は日本が海外に新幹線技術を売り込むときにも使われているという。しかし、これが2015年6月30日に幻想となった。

 東京駅11時ちょうどに発車した新大阪行「のぞみ225号」で、71歳の男が焼身自殺を図った。列車は緊急停止し、現場となった1号車の乗客は避難した。しかし、その中で女性が一人亡くなった。煙を吸い込んだとみられる。また、ほかにも26人(25人という報道もあり)が重軽傷と報じられている。

事故のあった「のぞみ」と同様の車両 事故のあった「のぞみ」と同様の車両

 この日まで「東海道新幹線の乗客の死亡事故ゼロ」とされているけれど、実は、東海道新幹線の死亡事故はあった。記憶に新しいところでは2014年11月に新横浜駅で25歳の男性が感電死。先頭車から屋根によじ登り、架線に触れた。搬送までの間に自殺願望を話したという。飛び込み自殺もいくつか起きている。

 旅客死亡事故としては1995年12月に、三島駅で駆け込み乗車しようとした男子高校生がホームから転落し、発車直後の「こだま475号」にひかれて亡くなった。扉に指をはさまれ、列車に引きずられたという。しかし駅員も乗務員も気付かなかった。この事件は裁判で駅員の過失が認定された。また、民事裁判ではJR東海の過失6割、高校生の過失4割が裁定されている。

 三島駅の事故は忘れてはならない事故だ。それにもかかわらず、新幹線の海外売り込みなどの報道で乗客死亡事故ゼロがうたわれており、私には違和感があった。列車の技術や構造、システム面などが直接の原因ではなかったからだろうか。一方で、扉の改良は行われたようだ。また、乗客ではなく「乗り遅れた客」の事故として、鉄道に責任のない「飛び込み自殺」の方に区分したからだろうか。

 今回の焼身自殺も事件であって事故ではない、という屁理屈が出そうだ。しかし、三島駅乗客転落事故も今回も、国土交通省が事故と認定している。警察は事件として捜査しているけれど、国土交通省では事故認定だ。その根拠は1987(昭和62)年に当時の運輸省から発令された「鉄道事故等報告規則」に基づく。列車の運転によって起きた人身事故だけではなく、鉄道会社に刑事責任はなくても、列車の衝突、脱線、火災、輸送に障害が発生した状態は事故として扱い、国に報告の義務がある。

 今回の一件でもう乗客死亡事故ゼロとは言えなくなった。走行中の車内で火災が発生し、自殺した本人だけではなく、1人が巻き込まれて亡くなっている。もう逃れられない。新幹線の安全神話は崩れた。いや、もともと安全神話などない。危険がゼロという認識そのものが幻想だ。新幹線に限らず、あらゆる事象に100%の安全はない。99.9%の小数点以下の9999……を増やしていくための無限の努力があるだけだ。

 安全神話、死亡事故ゼロというアピールは疑う必要がある。たまたま死亡事故ゼロに至らなかった事象もある。国土交通省ではそれを「インシデント」と呼び、注意を喚起している。

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