日本ではあまり馴染みがないが、海外では政治家や企業が自分に有利な情報操作を行うことを「スピンコントロール」と呼ぶ。企業戦略には実はこの「スピン」という視点が欠かすことができない。
「情報操作」というと日本ではネガティブなイメージが強いが、ビジネスにおいて自社の商品やサービスの優位性を顧客や社会に伝えるのは当然だ。裏を返せばヒットしている商品や成功している企業は「スピン」がうまく機能をしている、と言えるのかもしれない。
そこで、本連載では私たちが普段何気なく接している経済情報、企業のプロモーション、PRにいったいどのような狙いがあり、緻密な戦略があるのかという「スピン」を紐解いていきたい。
今年も大盛況の中で「ハロウィン」が幕を閉じた。
10月29日の深夜から30日未明にかけ仮装した人々が大挙して押し寄せた東京・渋谷ではおなじみ「DJポリス」も出動。駅前のスクランブル交差点が満員電車状態で、お祭り騒ぎが深夜まで続いていた。
そういうニュースを横目にオジさんたちが居酒屋でハイボールを傾けつつ、「我々が若かったころはハロウィンなんてなかったよなあ」とか「こんなに盛り上がったのはここ数年だろ」なんてトークに花を咲かしてることだろうが、このような認識が実は誤りだということをご存じだろうか。
日本の「ハロウィン」の歴史は意外と古く、オジさんたちがナウなヤングだったかなり昔から、一部の方たちの間では、そこそこ盛り上がっていたのだ。
なんてことを聞くと、40代くらいの方たちは「オレが学生のころってことは、90年代くらい?」と思うかもしれない。
確かに、東京ディズニーランドがハロウィンイベントを本格的に「目玉」とし始めたのは90年代後半。ハロウィンパレードの先駆けと言われ、今年史上最多13万人超の人出があったカワサキハロウィンがスタートしたのも97年だ。実際、30日に放送された『Mr.サンデー』(フジテレビ)では、「なぜ広まった?ハロウィーン20年前の原点」として、カワサキハロウィンを取り上げた。
ただ、番組にイチャモンをつけるわけではないが、「日本のハロウィン」の原点は20年そこらの話ではない。
例えば、1987年にはすでに東京・恵比寿や代官山で「地元の“秋祭り”にしたい」(東京読売新聞 1987年10月18日)という声を受け、2000人規模のハロウィンパレードが行われた。東京だけではなく、ほぼ同じ時期には、福岡・天神でも「天神ハロウィン」というイベントが行われている。さらに遡(さかのぼ)れば、1983年には原宿キデイランドでハロウィンパレードを催したという記録がある。イベント業界的には、「日本で初めてハロウィンパレードを催したのはキデイランド」というのが通説になっているのだ。
ちなみに、あまり知られていないが、「1983年」というのは、日本国民に「ハロウィン」というものの認知が爆発的に向上したタイミングでもあった。
前年12月に、映画『E.T.』が大ヒットしたのである。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PRアクセスランキング