事実、このモロゾフの「ハロウィンキャンペーン」はすぐに同業者に広がり、第三代森永製菓社長の森永太平氏が会長を務める「全国菓子協会」が1981年から大々的に「ハロウィンキャンペーン」をスタートさせる。
『バレンタインデーを日本に持ち込んでチョコレートを売りまくり、味をしめた菓子業界が、今度は、欧米で盛大に行われているキリスト教の祭事「ハロウィーン」に目をつけ「十月三十一日のハロウィーンには、お菓子パーティーを開こう」というキャンペーンに乗り出すことになった』(日本経済新聞 1981年10月12日)
つまり、モロゾフにのっかった菓子業界が一丸となって「秋の記念日商戦」をつくりだそうとしていたところへ、サンリオやソニープラザなどの玩具、雑貨、文具を扱う業界も加わって、じわじわとキャンペーンが始まっていたところへ、『E.T.』の歴史的ヒットで一気に知名度が上がったのが「1983年の真実」なのだ。
ただ、これで「ハロウィン」がトントン拍子で、日本社会に浸透したかというとそうでもない。1997年に始まったカワサキハロウィンが当初150人程度しか集まらず、主催者が『今だから言えますが、半分は仕込みでした』(AERA 2014年10月27日)と振り返るように、実は1980年代後半から1990年後半にかけて日本のハロウィンは存続の「危機」を迎えていたのである。
なぜか。実はこの時期、百貨店など小売業界で、そこまで「ハロウィン」は稼げるネタとして期待されていなかった。1992年に米国に留学中だった高校生が、友人のハロウィンパーティーに招かれて仮装して出かけたものの、家を間違えて射殺されるという悲劇が報じられたことで、ネガティブなイメージが広まっていたこともあるが、なによりも10月の記念日商戦の「大本命」とされていた別のイベントがあったからだ。それがよく分かる言葉を、西武百貨店渋谷店の売り場担当者が述べている。
『昨年あたりから始めた10月31日のハロウィンも、パーティーウエアが売れる程度で、ギフト商戦としてはいまひとつ。ボスデーは業界にとってみれば格好のイベント』(朝日新聞 1988年10月13日)
ボスデー? なんじゃそりゃ? と首を傾げる方も多いかもしれないが、これは1958年に米国で始まった記念日。10月16日を「ボスの日」と定め、この日ばかりは部下が上司の苦労をねぎらって、ランチに招待したり、プレゼントを贈るというものだ。ちなみに、その逆が4月21日の「セクレタリーズデー」(秘書の日)。この2つをセットにしたキャンペーンが、80年代後半から90年代の中ごろにかけて、百貨店業界でゴリゴリに行われていたのだ。
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