今の若い人には「なにそれ?」という反応だと思うので、ググっていただくとして、この作品の中で、瀕死のエイリアン・E.T.を大人たちの手から守り、どうにか仲間のもとに返そうと子供たちが奮闘するクライマックスシーンがあり、それが「ハロウィンの夜」という設定なのだ。
当時の『E.T.』人気はすさまじく、1997年に公開された『もののけ姫』に抜かれるまで、日本の邦画・洋画合わせた配給収入の歴代1位。このお化けヒット映画によって、「ああ、なんか分からんけど、アメリカにはハロウィンってのがあるのね」と一気に周知されたのである。
だったら、この33年前あたりが「日本式ハロウィンの原点」になるのかと思うかもしれないが、それも違う。
キデイランドが、『日本では、1970年代からキデイランド原宿で10月のシーズンイベントとして店頭においてハロウィーン・グッズの販売に力を入れるようになり』(キデイランドプレスリリース2012年10月23日より)と述べているように、「1983年」のかなり以前から、日本にどうにかして「ハロウィン」という風習を定着させようとしていた人々がいたのだ。
その中ではやはりキデイランドがダントツで有名だが、実はもう1社、日本のハロウィンを盛り上げ続けてきた「陰の功労者」がいる。
神戸市にある洋菓子メーカー、モロゾフだ。
自社Webサイトの「モロゾフの歩み」の中で、1976年に「ハロウィーン展開の開始」と明記されているように、ここは40年も前にハロウィンキャンペーンをスタートしているのだ。
たまたまでしょ、と思うかもしれないが、モロゾフは「先見性」のある菓子メーカーとして知られており、1933年に日本で初めてピロシキを発売、1936年に英字新聞『ジャパンアドバタイザー』に日本で初めてバレンタイン広告を掲載している。日本にバレンタインという風習を広めたのは、森永だ、伊勢丹だと諸説あるが、実はモロゾフが「仕掛け人」だという説も根強く支持されているのだ。
そんな先見性のあるメーカーがまたまた「ハロウィン」という新基軸を打ち出せば、周りも放っておくわけがない。
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