プリウスPHV パイオニア時代の終焉池田直渡「週刊モータージャーナル」(1/3 ページ)

» 2017年03月06日 07時30分 公開
[池田直渡ITmedia]

 新型プリウスPHVがついに発売された。本来は昨秋発売予定であったが、伸ばしに伸ばして、もうすぐ春という時期になっての登場だ。価格はおよそ326万円から422万円となっており、PHVではない普通のプリウスとの価格差は80万円前後となる。

 プリウスPHVは現在のトヨタの戦略の中で極めて重要なモデルである。ちょっと極端な言い方をすれば、ほかのクルマ10台分を超える重大な責任がある。発売を遅らせてでも煮詰めに煮詰めたのはトヨタはそれを痛いほど分かっているからだ。

外観のうち最も目立つフロントマスクデザインを通常モデルと大きく変えてPHVモデルであることがハッキリ分かるようになった 外観のうち最も目立つフロントマスクデザインを通常モデルと大きく変えてPHVモデルであることがハッキリ分かるようになった

北米ビジネスの要

 プリウスPHVは、トヨタが全社を挙げて取り組んでいる10年規模のクルマ作り改革プロジェクト「TNGA」の旗頭であり、現代の禁酒法に墜ちた「ゼロエミッションビークル(ZEV)規制」に対抗するための迎撃の要である。しかもその勝敗は、ZEVやCAFE(Corporate Average Fuel Economy:企業平均燃費)などの環境規制による罰則金に直結する。プリウスPHVが売れて営業利益が出るか出ないかという車種単一の利益問題ではなく、トヨタ車の全販売台数に対して罰則金を支払わされるという巨大なレバレッジが発生する仕組みになっているからだ。

 車両の販売という営業利益の項目でちゃんと利益が出たとしても、規定の比率に届かなければ罰則税もしくは他社からの枠買いによる巨額の営業外項目で経常利益を圧迫する。プリウスPHVの成功がトヨタの北米ビジネスの収益構造を左右するのだ。要するに、プリウスPHVは、米国の環境運動家の作った非現実的な規制の矢面に立って戦っていかなくてはならない。その非現実的な規制についてはもう少し先で説明しよう。

エコカーのデファクトスタンダード戦争

 2017年現在、環境カーの世界では、燃料電池、電気自動車、PHVの3つの方式が熾烈なデファクトスタンダード争いを演じている。この中で燃料電池は、少なくとも向こう10年はインフラ的に勝ち目がない。700気圧というとんでもない高圧気体の安全で安価な輸送方法が確立できるまでは、クルマがどんなに良くなっても解決しない。と書くと「短絡的に水素は危険じゃない」という早とちりな人が出てくるが、水素だからではない。高圧気体のリスクである。中身が不活性な(燃えない)窒素だろうが二酸化炭素だろうが、超高圧気体は危ない。だからインフラ構築はそう簡単な話ではないのだ。

リチウムイオンバッテリーを追突事故から守るため、テールゲートは高強度なカーボンが採用されている。レジントランスファーモールというローコスト手法によって、量産車にもカーボンが採用できるようになった リチウムイオンバッテリーを追突事故から守るため、テールゲートは高強度なカーボンが採用されている。レジントランスファーモールというローコスト手法によって、量産車にもカーボンが採用できるようになった

 本当に環境問題を考えたとき、現在のエコカー議論にはいろいろな“ウソ理論”が含まれている。電気自動車は、走行中は確かにゼロエミッションだが、二酸化炭素(CO2)の発生を「Well to Wheel」(井戸から車輪まで)で考えると甚だ怪しい。

 知っておいてほしいのだが、インフラ電力の発電方法が石炭なら、既に現時点でガソリンエンジンの方がCO2排出量が少ない。石油発電でどっこい、天然ガスを使って初めてガソリンエンジンを上回ることができる。ということは、すべてのインフラ発電が、水力や風力、太陽光などの再生可能エネルギー由来にならない限り、「電気自動車はゼロエミッション」あるいは「環境負荷ゼロの夢のクルマ」という言葉はただのウソで、CO2の発生をクルマが走っている時だけにトリミングする広告上の詭弁(きべん)である。自分の家のゴミを隣の敷地に放り込んで澄ましているようなものだ。

 ただし、真摯に環境問題に向き合うならば、CO2発生量は何もゼロである必要はない。現在の主力であるガソリンエンジンと同等以上であるならばそこには意味がある。それに目をつぶるのもフェアではない。電気自動車がゼロエミッションというのはウソだが、エコカーとしての存在そのものはウソではない。ただし、電気自動車推進派メーカーはそこの説明がいつも真摯(しんし)でないのが腹立たしい。

 例えば、テスラの言い分はWell to Wheelを完全に無視していて、都合が良過ぎる。巨大なSUVを3秒で時速100キロまで加速させると豪語するが、電力なら無駄遣いしても環境負荷ゼロというのは、先に説明したように意図的な詭弁である。あちこちからあまりにも突っ込まれたので太陽光発電事業をスタートしたようだが、米国のインフラ発電をすべて再生可能エネルギーでまかなうところまで持っていってから速さを競うべきで、順番が逆だ。

 しかも電気自動車には再充電に時間がかかるという重大な欠点がある。各社は充電時間の短縮に懸命だが、急速充電を行えば、エネルギーロスがどんどん増える。バッテリーの寿命にも影響を与える。短時間充電は環境的にはネガティブなのだ。だからゆっくり充電したいのだが、例えば、北米ではタイヤがパンクして修理している時に強盗に遭って殺されてしまうケースがある。だから親切そうに近づいて来る人を信用するなと言われている。そういう国で電気が切れて、充電できるまで動けないというリスクをどう考えるかは言うまでもない。

 しかも車両充電器のインフラ整備は日本が世界一である。世界一でこんなものだ。米国があの広大な国土でどうやって電気自動車を運用できるところまで持っていくのかは現実を無視したノープラン、あるいはご都合主義のSFでしかない。グラファイトチューブがビルの谷間を縫って、その中を自動運転のクルマが高速で行き交う話をするのと変わらない非現実的な話だ。

 では、バッテリーを大量搭載すれば済むのか? そんなことはない。そう頻繁にあるわけでもない例外的な長距離走行への対策として、重たいバッテリーを毎日背負って走るのはエネルギーの無駄遣いだ。だから毎日ほぼ使い切るバッテリーを搭載し、電欠後はガソリンで走れるプラグインハイブリッドは、向こう10年の地球環境改善を考えたとき、最適解の1つである。余談ながら最適解はもう1つある。軽量化を徹底した小型で高効率のガソリンエンジン車である。

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