社会を「忖度」しないAIとどう向き合うべきか“いま”が分かるビジネス塾(3/3 ページ)

» 2017年09月07日 06時00分 公開
[加谷珪一ITmedia]
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読者を「忖度」しないAI記事は読まれるのか

 例えば、上場企業が自社の戦略を外部に説明するケースを考えてみよう。企業のトップが投資家などに向けて自社の戦略について説明する場面は多いが、正直に言ってそのレベルにはかなりの差がある。数値目標と経営戦略を混同している経営者も少なくない。また経営戦略であるにもかかわらず、情緒的な文言ばかりが並び、中身がほどんどないケースも多い。

 こうした空虚な成果物が出てくる背景には、たいていの場合、何らかのタブーが関係している。ある経営戦略を実現するために人員削減が必須という場合でも、批判を恐れて口にしたくない心理が働くと、論旨が不明瞭になったり、数字だけが提示される結果になる。

 この内容をAIが評価した場合「公開には値しないレベル」という結論を出してしまうかもしれない。また、AIのアドバイスを無視して公表しても、今度はAIの分析をベースにした記者やアナリストが、評価の対象外という記事やレポートを書く可能性がある。

 このような場合、AI記者は経営者の状況を忖度すべきなのだろうか。さらに言えば、記者は読者に対して忖度する必要があるのかという問題も顕在化してくる。

 記事を書くジャーナリストが忖度するのは取材先だけだと思われているが、そうではない。もっとも記者が忖度しているのは「読者」であることが多い。本当は徹底的に批判すべき内容であっても、読者がそれを望んでいないと考えられる場合には、筆は確実に弱まることになる。客観的に見た場合、評価に値しない製品やサービスであっても、PV(ページビュー)を優先し「ニッポンの技術は世界一」というトーンで書かれたような記事は少なくない。

 こうした行為が正しいかどうかは別として、世の中に出回っている記事やレポートの役割は「真実を告げる」ことだけではなく、「癒やす」「盛り上げる」的な要素があることは否定できない事実である。

photo 読者を「忖度」しないAI記事は読まれるのか

 深層学習機能を持ったAIの本質を引き出すためには、機能に制限を加えない方が良いわけだが、これを社会が受け入れるかどうかは別の話である。

 今回の中国のように機能や学習に制限を加えてしまえば、そのAIが出す結論は予定調和的となり、かつてのエキスパートシステムのようにあまり普及しないという結果に終わってしまうかもしれない。結局のところAIをどう生かすのかは、受け手である私たち次第ということになる。

加谷珪一(かや けいいち/経済評論家)

 仙台市生まれ。東北大学工学部原子核工学科卒業後、日経BP社に記者として入社。

 野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当。独立後は、中央省庁や政府系金融機関など対するコンサルティング業務に従事。現在は、経済、金融、ビジネス、ITなど多方面の分野で執筆活動を行っている。

 著書に「AI時代に生き残る企業、淘汰される企業」(宝島社)、「お金持ちはなぜ「教養」を必死に学ぶのか」(朝日新聞出版)、「お金持ちの教科書」(CCCメディアハウス)、「億万長者の情報整理術」(朝日新聞出版)などがある。


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