話を聞いていると、どうもシンガポール当局は米国などに対してあまり口出しはしていないようだ。シンガポール人関係者は、「そもそも、シンガポールが会場に選ばれた理由の1つは、シンガポールが国として、米国とも北朝鮮とも外交関係を維持しているから。シンガポールは、米国とはいいビジネス・パートナーで、北朝鮮のような独裁国家などにもいい顔をしている。今はトランプのために全力を尽くしている」という。
確かに、会談場所にシンガポールが選ばれたのには、金正恩の専用機の飛行距離が考慮されたという話などもあったし、米朝両国とも外交的な関係を持っているという事実もある。だが筆者は、シンガポールが選ばれた最大の理由はシンガポール政府が容易に国家全体をコントロールし、自在に動かせるからではないかとみている。
シンガポールという国は、きれいで都会的な観光地、という日本人が持っているイメージとは裏腹に、強権的な管理国家という顔もある。例えば政治を見ると、「建国の父」である故リー・クアンユー氏が率いた人民行動党(PAP)が建国以降ずっと国を支配し、今も独裁体制を維持している。シンガポール人たちも、選挙などは国の監視の目を“忖度”して野党に入れにくい環境があると認めている(近年は徐々に変わりつつあるが)。
また「ガムはダメ」「唾は吐いちゃダメ」「ポルノ所有禁止」「上半身裸はダメ」「自殺を図るのは違法」など、厳しく国民の行動まで管理。サイズが東京23区ほどしかないシンガポールでは、公共の場所でデモなどの政治的な運動はできないなど、国の管理が徹底して行き届いているという側面もある。
もっとも、何でも国がトップダウンで有無を言わさずコントロールできる国でなければ、民間のホテルで既に予約している人を追い出して直ちに貸し切りにすることなどできない。要するに、良くも悪くも、国のトップの一存で、何でも自由で動かせるのがシンガポールという国なのである。だからこそ米朝会談といった歴史的なイベントの開催に迅速に対応できるのだが、それに振り回されるシンガポール国民にはたまったものではない。
シンガポールと北朝鮮といえば、2011年のある騒動をよく覚えている。金正恩の兄で、かつて金正日総書記の後継者になると見られていた金正哲が、シンガポールで行われた英国人ミュージシャン、エリック・クラプトンのコンサートにお忍びで訪れた。それを察知した在シンガポールの国内外メディアは、錯綜(さくそう)する情報の中、彼を探して大騒動になり、振り回された。ほとんどが彼の姿を捉えることはできなかったが、韓国のKBSテレビがその姿を捉え、韓国で放送された。
今回の米朝会談も、同じように情報が錯綜している。そしてシンガポールで、しばらくの間、北朝鮮を巡って多くの人が翻弄(ほんろう)されることになる。
山田敏弘
元MITフェロー、ジャーナリスト・ノンフィクション作家。講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版に勤務後、米マサチューセッツ工科大学(MIT)でフルブライト・フェローを経てフリーに。
国際情勢や社会問題、サイバー安全保障を中心に国内外で取材・執筆を行い、訳書に『黒いワールドカップ』(講談社)など、著書に『ゼロデイ 米中露サイバー戦争が世界を破壊する』(文藝春秋)『モンスター 暗躍する次のアルカイダ』(中央公論新社)、『ハリウッド検視ファイル トーマス野口の遺言』(新潮社)がある。最近はテレビ・ラジオにも出演し、講演や大学での講義なども行っている。
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