雑誌発行に舞台公演も!? 焼酎業界の「名プロデューサー」走るすべては焼酎ブーム再来のため(2/4 ページ)

» 2018年08月23日 07時00分 公開
[服部良祐ITmedia]

焼酎のため九州に骨を埋める

photo 中村さんが手掛けた壱岐の蔵酒造の人気リキュール「柚子小町」

 一方、東京の小売りの店頭に置いてあるのはたいてい「いいちこ」や「さつま白波」といった少数のメジャーな銘柄ばかり。「焼酎は東京と九州で情報のギャップがある。そこに商機がある」と考えた。

 早速、商社マンとして九州の酒蔵と組み新銘柄の開発に着手。酒蔵の人とひざを詰めて香りや味を分析、品質の改良に取り組み、東京で試飲会を開いて販促も強化した。開発に携わった焼酎は約90品にも上る。

 ヒット商品の1つが00年に発売した壱岐の蔵酒造(長崎県壱岐市)の「柚子小町」。焼酎にユズの風味を加えたリキュールで、ピーク時には1カ月で10万本も出荷した。酒蔵では昔から風邪をひいた人にユズ入りの焼酎を飲ませる習慣があったことから中村さんが商品化を着想。今も支持の厚い定番商品として、この酒蔵の経営の立て直しにつながったという。

 04年ごろには焼酎ブームが徐々に到来。特に「森伊蔵」「百年の孤独」といった高級焼酎がもてはやされ、東京など都心部で高値で買われるようになった。中村さんは「高級焼酎はイメージ戦略で売れていた部分もあったと思う。うちはそれには乗っからなかった」と振り返る。実際、九州の小規模な酒蔵が手掛けるマイナーな銘柄を掘り起こし、扱うお酒にこだわりを持つ酒販店や居酒屋に照準を合わせて売り込む戦略を取ってきた。

 ただ、中村さんも焼酎ブームの火付け役の1人としてテレビや新聞に取り上げられることが増えてきた。当時はあくまで商社のいちサラリーマン。「中村さんがいなくなったら焼酎ブームがしぼむのでは」と懸念する酒蔵の声を聞き、生活の基盤が完全に福岡に移っていたこともあり起業を決意。焼酎のため九州に骨を埋めることにした。

photo 壱岐の蔵酒造で焼酎を仕込む職人たち

 06年3月に三井物産を退社後、今の会社を立ち上げた中村さん。地道な商品開発のほかに、元商社マンらしいワールドワイドな戦略も取った。「焼酎のブランドを確立するためには『おいしい』という客観的な評価がほしい」と考え、ベルギーの民間団体が食品や飲料などに与える認証「モンドセレクション」を焼酎で取って販促につなげた。今や大手食品メーカーも積極的に取っている認証だが、中村さんは「うちが先駆け」と胸を張る。

 ただ、その焼酎ブームにも終わりが訪れる。ピークを過ぎて10年ごろには逆風にさらされることに。業界全体で消費が冷え込み、ルネサンス・プロジェクトでも年間売上高はピーク時の約15億円から減少傾向に。今は約7億円まで縮小した。

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