業績好調だったにもかかわらず融資を断られたのは、銀行側の都合のほうが大きいといったほうがいいかもしれない。
というのも、このころの都市銀行は合併が進み、不良債権処理に躍起になっていたからだ。大口焦げ付きが発生した融資先に、リスクを取って追加融資を推進する環境にはなかったということだろう。これによりモード・フアムの経営は危機的状況に陥る。
金融機関に代わって窮地を救ったのは、皮肉にも元都市銀行員だった同社の経理担当で、監査役を担っていたA氏だ。A氏が、知人などから借り入れを行うなどして資金調達に尽力したことで、モード・フアムの資金繰りはなんとか回っていた。
しばらくは、A氏の知人などからの借り入れを続けながら資金繰りをつないでいたが、のちに、この借入金はA氏が代表を務めるN社が承継する。
このN社は、大阪市北区に所在していた1998年9月設立の企業。もともと、オーダーメイドのコンピュータの開発、組立を主業とし、ディスプレイ・プリンターなどの付属設備やアプリケーションソフトの販売業者だが、年商は1億円に満たない中小企業だ。
2007年ごろになると、モード・フアムの売り上げは20億円を割り込み、本業の不調から資金繰りはさらに悪化する。長引く消費低迷により、主要取引先だった百貨店などの売上減少が響いた形だ。
この事態を打開すべく、監査役のA氏は粉飾決算に手を染める。売り上げの水増し、在庫商品、売掛金の過大計上によって1000万円内外の利益を捻出すると、さらに金融機関からの借入金を過少に見せることで、安定感のある財務体質を作り上げた。
とはいえ火の車の内情は変わらない。モード・フアムは、14年4月3日、ついに弁護士名で金融機関へリスケ要請のFAX書面を送付。当時、取引金融機関は「どう考えても資金繰りが直ちに詰まるような決算ではなかった。粉飾決算を見破れなかった」と話していた。
また、この時期には関係会社であるステップとプレーゴが振り出した手形をモード・フアムが割引に回していたが、この両社は決済難に陥っていた。関係会社を利用した資金操作も限界に達し、資金難に追い打ちをかけた。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング