さて、器にいろいろなものを満たしたとき、私たちはそれを自分だけのものとして閉じてしまっていいものでしょうか。たいていの人は、それを他の人にも分けてあげたいという心がわいてくるのではないでしょうか。むしろ自分が蓄えたり、溜めたりしたものを他者に提供することで、さらに返ってくるものが増え、結果的に器の中身はより濃厚になるでしょう。
働くことを通して、自分という「器」をこしらえる。そして「器」を満たす。さらには、満たしたものを他に分けてあげる。これらの作業プロセス自体が「仕事の喜び」といえるのではないでしょうか。
現下のコロナ禍において、こうした仕事の喜びが奪われている業種の方々がたくさんいます。心よりご同情申しあげます。また、医療現場で奮闘される方々におかれましては、社会が「器から分ける」ことばかりを強いている現状をたいへん心苦しく思います。深く感謝申しあげます。いずれにせよ、すべての働く人たちが、器をつくり、満たし、中身を分けてあげる喜びを普通に求めることができる平時が、一日でも早く戻ってくることを祈ります。(村山 昇)
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