「JR」VS「阪神VS阪急」熾烈な戦いが奏功 大阪ー神戸間鉄道開業150年、かつて梅田は郊外だった(1/3 ページ)

» 2024年05月10日 18時17分 公開
[産経新聞]
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 首都圏の新橋−横浜間に続く国内2番目の官設鉄道として大阪−神戸間に鉄道が開業してから11日で150年を迎える。この間、沿線では都市化が進み、阪神間はJR西日本、阪神電鉄と阪急電鉄の3社が利用客の獲得にしのぎを削る鉄道激戦区となった。大阪駅が設けられた梅田は、今でこそ国内有数のビジネス拠点だが、150年前は町の外れに位置し、のどかな田園風景が広がっていた。

photo 梅田に建設された木造2階建ての初代大阪駅舎(京都鉄道博物館提供)
photo 大阪駅のホームに停車中の特急「つばめ」=昭和31年ごろ(京都鉄道博物館提供)

 幕末の混乱を経て、産声を上げたばかりの明治政府は、貿易港が置かれた神戸と「天下の台所」として国内の物資が集積した大阪との間32.7キロに官営の鉄道を通すことを決定し、明治7(1874)年に開業した。

 官設鉄道を引き継ぐJR西などによると、大阪駅の候補地は当初、各藩が蔵屋敷を置いた堂島だった。ところが、人口が密集していたために地元から「汽車は火を吐くので火事になる」と猛反対に遭い、橋を北へ渡った梅田に駅を建設した。一帯は低湿地を埋めて田んぼにしたため、もともとは『埋め田』と呼ばれ、後にめでたい「梅」の字を充てたとされる。

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