リテール大革命

アマゾンの無料返品サービスの誤算 増殖する「アマゾンビ」に苦しむ提携先、何が起こった?石角友愛とめぐる、米国リテール最前線

» 2024年07月31日 08時30分 公開
[石角友愛ITmedia]

連載:石角友愛とめぐる、米国リテール最前線

小売業界に、デジタル・トランスフォーメーションの波が訪れている。本連載では、シリコンバレー在住の石角友愛(パロアルトインサイトCEO・AIビジネスデザイナー)が、米国のリテール業界の最前線の紹介を通し、時代の変化を先読みする。

 以前「アマゾンの無料返品サービス、『文房具店』と提携するやむを得ない事情」という記事で、アマゾンが返品コスト削減のため、ステープルズという文房具店と提携し、箱やラベルなしで返品できるサービスを開始することを紹介しました。

 すでにホールフーズやコールズで行っている提携と同様に、小売店の店頭でアマゾンの返品ができるというものです。背景には、米国の大手民間配送企業であるUPSとアマゾンの関係悪化により、返品のための新拠点獲得の必要性が高まったことや、高騰する返品コストの問題がありました。

アマゾンは無料返品サービスとして文房具店のステープルズと連携した。相乗効果を生むと思われたが……(画像:以下、ゲッティイメージズより)

 また、小売業者にとっても、アマゾンの返却窓口となることで来店促進や新規顧客獲得につながるメリットがあり、双方の利害が一致した戦略としてパートナーシップが締結されました。

 しかしその後、小売店舗において当初の目論見が外れつつあることが先日のWashington Postの報道で分かりました。

 ステープルズやコールズの店員がアマゾンの返品作業に追われ、主業務ができない状況が生まれているというのです。さらに、連日の無料返品作業に苦しむあまり、それが恐怖体験となり、アマゾンの商品を返品するためだけに来店する顧客に対して「アマゾンビ」という言葉まで生まれているといいます。

 来店促進効果は出なかったということなのか。一体何があったのか。この件のいきさつを紹介したいと思います。

当初のアマゾンの狙いは? 目論見はなぜ、外れたのか

 そもそも、アマゾンが文房具店のステープルズや雑貨を販売する小売大手のコールズなどの実店舗をアマゾンの返品地点にする契約を結んだとき、それは双方の利益につながるはずでした。

 前述の記事で紹介した通り、通常の返品は近所のUPSストアなどにいきますが、近所にUPSがない場所に住む人にとって、身近な小売店舗でアマゾンの返品が行えるようになれば顧客体験は向上します。そして、不振の小売店舗からすれば、返品をきっかけに来店客数が増え、それに伴い客単価が上がったり、新規顧客獲得のためのコストが抑えられたりすることが期待されていました。

 しかし、現実は違いました。

 返品拠点の実店舗で働く従業員たちは、アマゾンビが彼らの労働生活の疫病神となり、収益を上げることなくスタッフの時間を浪費し、長蛇の列を作り、癇癪(かんしゃく)を起こし、箱やプラスチックごみの山を積み上げていると言います。実際、UPSやコールズの一部の店舗では、この仕事量を処理するためだけにスタッフを増員せざるを得なくなっており、本末転倒な事態となっています。

 実際に、どれくらいの時間がアマゾンの返品受付作業に割かれているのでしょうか。例えば、あるUPSストアで働くスタッフの証言によると、1日で300〜600ほどの返品を処理しており、「アマゾンからの収益は利益に対して10分の1程度なのに、労働時間の90%を占めている」ということです。

小売大手のコールズ。返品拠点の実店舗で働く従業員たちは、アマゾンビの対応に追われている

 また、当初目的の一つとされていた「来店促進」に関しては完全に目論見が外れ、以下のような悪循環が生まれています。

  1. 返品しに来ている人は、通常返品のみを目的として来店するため、そもそもコールズやステープルズの顧客ではない
  2. アマゾンビのようにアマゾンの返品だけをしにくる来店客はロイヤリティが低く、そういった人たちをロイヤリティの高い顧客に変換させるためのマーケティングコスト(例:クーポン配布、店舗内でのショッパーマーケティング実施など)は通常より高くつく
  3. 通常、マーケティング施策を実行するのも店舗内のスタッフであるため、返品作業や主業務に加え、アマゾンビのコンバージョン作業などの負荷が新たに発生することは、ますます既存業務を圧迫する
  4. 結果的に、新しい人員確保せざるを得なくなる
  5. 最終的にはコスト高につながる

 また、返品受付作業そのものの煩雑さも軽視できません。通常、返品というと消費者が自宅で箱に梱包して、QRコードを準備し、または事前にラベルをプリントアウトして用意するものと想像するかもしれません。しかし、顧客体験を重視した結果、最近は消費者側が全く準備せずに返品できる仕組みになっています。返品したい商品を「箱なし、ラベルなし」でそのまま店舗に運んでくるケースも多いのです。

 例えば、あるUPSストアでは、医療待合室で使用するために比較検討していた9脚もの椅子を返品しに来た客がいたということです。他にも、自転車やテレビ、マットレスといった大型の商品を返品しにくる人までいるといいます。

 当然、アマゾンの従業員でもないコールズやステープルズの店舗スタッフは対応するためのノウハウを持っていません。このような場合、スタッフの心理的ストレスもさることながら、細かい質問に答える、クレームに対応するといった時間・人的リソースもかかり、結果的にコスト高につながります。

 また、ステープルズの店舗スタッフがアマゾンビの返品対応のノウハウを身に付けたところで、果たしてステープルズの利益や資産に直結するのかという本質的な疑問も湧いてきます。

 店舗ビジネスを運営する上で、それがアマゾンの返品であれ、店舗で購入した商品の返品であれ、カスタマーサポートとしてのスキル向上になるという点は確かにあると思いますが、アマゾンのそれと実店舗のものとはボリュームも、顧客の期待値も大きく異なるものがあるからです。

返品先のスタッフがアマゾンの返品対応ノウハウを身に付けたところで、それは店舗の売り上げにつながるのかは懐疑的だ

 近年、ファストファッションや格安ECサイトなどの台頭により、単価が安い商品を簡単に購入、返品できる環境が整ったことで、「横行する消費主義」が返品過多を促しているという指摘もあります。

 無料返品という制度は、本来であればネットショッピングをする消費者に対し、購入の障壁を下げることにありました。しかし、ECショッピングが広がりつつある今、消費主義に後押しされて返品ばかりが増えることは、労働者の確保に苦しみ、環境問題への配慮をしなければいけないリテーラーにとっては、決して喜ばしい状況とは言えません。

 とはいえ、実店舗にとって来客数を増やすことが重要な課題であることは確かです。今後は、コールズやステープルズの店舗スタッフがアマゾンビの対応に終われることなく、「アマゾン返品はこちらに置いておいてください。われわれはアマゾンの従業員ではないため、細かい質問には答えられません」という標識をおいて、作業効率化を進めると同時に返品をする顧客の期待値をコントロールするなど、これまでと違ったやり方が求められるのかもしれません。

著者プロフィール:石角友愛(いしずみ・ともえ) 

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パロアルトインサイトCEO/AIビジネスデザイナー

2010年にハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した後、シリコンバレーのグーグル本社で多数のAI関連プロジェクトをシニアストラテジストとしてリード。その後HRテック・流通系AIベンチャーを経てパロアルトインサイトをシリコンバレーで起業。東急ホテルズ&リゾーツのDXアドバイザーとして中長期DX戦略への助言を行うなど、多くの日本企業に対して最新のDX戦略提案からAI開発まで一貫したAI・DX支援を提供する。2024年より一般社団法人人工知能学会理事に就任。

AI人材育成のためのコンテンツ開発なども手掛け、順天堂大学大学院医学研究科データサイエンス学科客員教授(AI企業戦略)及び東京大学工学部アドバイザリー・ボードをはじめとして、京都府アート&テクノロジー・ヴィレッジ事業クリエイターを務めるなど幅広く活動している。

毎日新聞、日経xTREND、ITmediaなど大手メディアでの連載を持ち、 DXの重要性を伝える毎週配信ポッドキャスト「Level 5」のMCや、NHKラジオ第1「マイあさ!」内「マイ!Biz」コーナーにレギュラー出演中。「報道ステーション」「NHKクローズアップ現代+」などTV出演も多数。

著書に『AI時代を生き抜くということ ChatGPTとリスキリング』(日経BP)『いまこそ知りたいDX戦略』『いまこそ知りたいAIビジネス』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『経験ゼロから始めるAI時代の新キャリアデザイン』(KADOKAWA)、『才能の見つけ方 天才の育て方』(文藝春秋)など多数。

パロアルトインサイトHP

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