26カ月連続でマイナスだった実質賃金が、6月は前年同月比1.1%増、7月は0.4%増と2カ月連続でプラスに転じた。
ようやく今春闘の大幅賃上げの効果が出始めたと思う人もいるかもしれないが、実は楽観するには早すぎる。
厚生労働省の「毎月勤労統計調査(速報)」(PDF)によると、労働者が受け取った「名目賃金」にあたる7月の現金給与総額は、3.6%増の40万3490円。内訳は基本給など決まって支給する給与は2.5増。賞与を含む「特別に支払われた給与」が6.2%増。5月の特別に支払われた給与は8.5%減だったので、大幅に増加している。
つまり、現金給与総額に占める賞与のウエイトが大きく、7月の消費者物価指数の3.2%を名目賃金が上回ったために実質賃金がプラスになったといえる。
賞与は例年6〜7月初旬に支給される。エコノミストの中には、実質賃金のプラスはボーナス支給月の一時的な現象に過ぎず、再びマイナスに転じると見る人もいる。では実質賃金はいつから本格的にプラスになるのか。
連合の最終集計によると、今年の春闘の賃上げ率は定期昇給込みで5.10%(7月1日)、経団連の発表でも定昇込み賃上げ率は5.58%(8月5日、最終集計、従業員500人以上)と、いずれも1991年以来、33年ぶりの高い水準となった。
誰もが物価高をカバーする賃金を受け取れそうだが、必ずしもそうではない。賃上げ率はあくまで平均であり、大企業と中小企業の規模間格差もある。
中小企業で働く労働者は日本の労働者の7割を占めている。連合の集計では300人未満の中小の組合の賃上げ率は4.45%となっている。内訳は100〜299人の企業が4.62%、99人以下の企業は3.98%と規模間格差が存在する。
それでも物価上昇率を上回っており、実質賃金はプラスに転じる可能性がある。しかし、ここにも問題がある。連合の集計はあくまでも労働組合のある企業が対象となるが、労働組合がある中小企業は1%程度にすぎない。
日本商工会議所・東京商工会議所が「中小企業の賃金改定に関する調査」集計結果(2024年6月5日)で2024年の賃上げ結果を発表している。平均賃上げ率は定昇込みで3.62%。20人以下の企業では3.34%となっている。中小企業でも労働組合の有無で格差があることが分かるが、かろうじて物価上昇を上回る賃金が期待できそうだ。
しかしそれでも、実質賃金がプラスになるのはかなり難しいという見方もある。経団連の関係者は「毎月勤労統計調査の実質賃金の算出方法では定期昇給分は反映されない。賃金総額は前年との比較におけるマクロの金額であり、名目賃金は総額が前年からどれだけ増えたのかを調査しており、ベースアップしか反映されず、定昇込みの賃上げ率とは異なる」と語る。
毎月勤労統計調査は常用労働者5人以上の約200万事業所から抽出した約3万3000事業所を対象にしている。前年との比較で定昇が反映されないとはどういうことなのか。経団連の「2024年版 経営労働政策特別委員会報告」内のトピックス「実質賃金に関する考察」では以下のように述べられている。
名目賃金は、調査対象事業所の「現金給与総額の合計」を「常用労働者数の合計」で除して労働者一人当たりの平均を算出している。
この「賃金総額」による算出方法の場合、前年との比較において、ベースアップ分は数値に表れるのに対して、多くの企業で実施している定期昇給などの制度昇給分は数値に十分に表れない可能性に留意する必要がある。
例えば、労務構成の変化が毎年一定の企業を想定した場合、定期昇給など制度昇給を実施しても賃金総額は増加せず、名目賃金上昇率は「0%」となる。
一方、同じ企業で2%のベースアップを実施した場合、賃金総額が2%増加するため、名目賃金上昇率は「2%」となる。
確かに毎年一定程度昇給する定昇がある企業の場合、定年などで退職する人と新入社員の数がほぼ一定であれば賃金原資は変わらない。これを基準に前年と比べて増加した賃金原資を従業員1人当たりで割ると、ベア分しか反映されないことになる。
厚労省は公式Webサイトの「毎月勤労統計調査における利用上の注意」で「毎月勤労統計調査における名目賃金は、マクロの賃金データである。そのため、伸び率は『ベースアップ』の影響を受けやすく、各労働者の『定期昇給』による賃金増の影響は受けづらい」と説明している。
つまり、毎月勤労統計調査は「賃上げとはベアのことです」と言っているのに等しい。
そうなると、先述の賃上げ率は割り引いて考える必要がある。一般的に定期昇給率は2%弱とされる。仮に2%とすると、連合の定昇込み5.10%の賃上げ率のベア分は3.10%。4.45%の中小組合は2.25%。日本商工会議所調査の3.62%は1.62%となる。
これを見る限り、大多数の中小企業のベアが3%以下であり、物価上昇率が3%程度で推移すると、実質賃金がプラスに転じるのは極めて難しいだろう。
一方、厚労省が毎年11月に公表している「賃金引上げ等の実態に関する調査」の「1人平均賃金の改定率(名目賃金)」には定昇とベースアップが含まれている。2023年は3.2%だった。また、8月2日に厚労省が公表した2024年「民間主要企業春季賃上げ要求・妥結状況」(PDF)の賃上げ率は5.33%(従業員1000人以上の労働組合のある348社)となっているが、この中には定昇も含まれている。
厚労省は算出方法が異なる2種類の賃上げ調査を公表していることになる。そして、メディアで毎月公表される「毎月勤労統計調査」の実質賃金に一喜一憂する人は多い。
これに釈然としないのが、賃上げに尽力している地方の経営者である。ある地方の経営者協会の幹部は「政府や経団連に言われて、一生懸命に取り組み、賃上げしたのに、毎勤統計では一向にプラスにならない。マスコミもこぞって実質賃金はマイナスだと書き立てる。報道が出るたびに『あれだけがんばって賃金を上げたのに達成感を感じられない』と言う経営者もいる」と、不満を露わにする。
ある経営者の中には「毎勤統計にベアしか反映されないのであれば、定期昇給を止めます。必要な昇給しかしません」と言う人もいたという。
一般的な定期昇給はどんな人でも毎年一定程度給与が上がる「生活費補填」の役割を果たしている。それを廃止すると、生活が圧迫される人が今以上に増えることになる。暴論であるかもしれないが、それだけ賃上げしても達成感を得られない中小企業の経営者が少なくないことも確かだ。
財務省が9月2日に公表した「法人企業統計調査(令和6年4〜6月期)」(PDF)によると、中小企業で働く人の人件費は前年同期比6.7%増となり、大企業の1.1%増を大きく上回っている。中小企業の賃上げの努力を経営者や従業員に感じてもらうことで生産性向上や働く意欲にもつながる。統計や情報発信のあり方を一考すべきではないだろうか。
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