大小かかわらず、官民問わず、さまざまなプロジェクトが進行する中で、「予算内、期限内、とてつもない便益」という3拍子をそろえられるのは0.5%にすぎない。逆にいえば99.5%が失敗する中で、大成功を収めたのがロンドン・ヒースロー空港の新ターミナル建設プロジェクト。何が要因だったのか。
世界中のプロジェクトの「成否データ」を1万件以上蓄積・研究するオックスフォード大学教授が、予算内、期限内で「頭の中のモヤ」を成果に結び付ける戦略と戦術を解き明かした『BIG THINGS どデカいことを成し遂げたヤツらはなにをしたのか?』(サンマーク出版)より一部抜粋、再構成してお届けする。
私の知り合いに、数十億ドル規模のITプロジェクトを次々と手掛けている、引く手あまたのマネジャーがいる。ITプロジェクトにつきものの、経営陣の首がかかった八方ふさがりの状況で、問題解決人として駆り出される人材だ。
彼が助っ人を引き受ける条件は何か? 自分のチームを連れて行けること。これがよいチームをつくる彼の方法である。百戦錬磨の実行部隊には千金の価値がある。
成功したプロジェクトの背後には、こういうチームがいることが多い。フランク・ゲーリーが予算内、工期内にクライアントのビジョンを実現して、成功を重ねているのは、ゲーリー自身の力はもちろん、彼の数年、数十年来の優秀な仲間の力によるところも大きい。エンパイア・ステート・ビルは、計画立案が優れていたが、高層ビルの迅速な建設に定評のある建設会社も雇っていた。
そして、フーバー・ダムの例がある。1936年の完成時から今に至るまで、多くの観光客を魅了し続ける壮大なフーバー・ダムは、辺鄙(へんぴ)で寂れた危険な立地に計画された、巨大プロジェクトだった。それでも大型プロジェクトには珍しく予算内、工期内に完了した。
この大成功は、プロジェクトを管理した技術者のフランク・クロウの功績でもある。クロウはアメリカ西部のダム建設にキャリアをささげ、長年かけて編成した忠実な大所帯のチームを引き連れて、数々のプロジェクトを渡り歩いた。チームは豊かな経験を蓄え、信頼と敬意、理解で結ばれていた。
経験豊富なチームには計り知れない価値があるが、このことは見過ごされることが多い。
例えば、私が相談を受けた、カナダの水力発電ダムの例がある。このプロジェクトを監督していたのは、水力発電ダムに関わった経験のない企業幹部だった。なぜだろう? 経験のある幹部が見つからなかったからだ。
「大型プロジェクトを実現するのはどれだけ大変なことだろう?」と、ダムの事業者は思案した。石油・ガス業界は、大型プロジェクトを日常的に手掛けている。水力発電ダムは、大型プロジェクトだ。だから、石油・ガス会社の幹部にダムを任せれば大丈夫だろう。
事業者はこの三段論法で、石油・ガス会社の幹部を雇って、プロジェクトを運営させた。そしてご想像の通り、プロジェクトは地域経済を脅かすほどの大混乱に陥った。私が問題を診断するために呼ばれたのはこのときだったが、もう手の施しようがなかった。
では、よいチームを集めるにはどうしたらいいのか? 簡単な方法は、フランク・クロウやフランク・ゲーリーが持っているような、優れたチームを雇うことだ。そんなチームが存在するなら、なんとしてでも連れてこよう。たとえお金がかかっても、コストと時間を節約し、評判の失墜を防ぐことができるのだから、安いものだ。また、状況が悪化してからでは遅い。最初から雇おう。
あいにく、そんなチームが存在しないか、存在していても雇えない場合がある。チームを雇えないなら、つくる必要がある。これはよくある状況だ。イギリス空港運営公団(BAA)も、ロンドン・ヒースロー空港に数十億ドル規模の新ターミナルを建設すると発表した2001年に、この難題に直面していた。
ヒースロー空港は当時も今も世界で最も忙しい空港に数えられるが、「ターミナル5(T5)」の新設によって、空港はさらに拡張されることとなった。T5のメインターミナル・ビルは、完成すればイギリス最大の独立建造物になる。これに2つのビルを加えたT5全体は、ゲート数53、総床面積約35万平方メートルの巨大プロジェクトである。
ふつう「空港」と聞けば、滑走路や巨大な建物を想像するが、実際の空港は施設やサービスが複雑に集積した、小都市に似ている。T5にも、トンネルから道路、駐車場、鉄道への乗換動線、電子システム、手荷物処理、飲食施設、安全設備、空港全体の新しい交通管制塔までの多数のシステムが必要で、しかもこれらをシームレスに連携させる必要があった。
T5の建設用地は、南北を2本の滑走路に挟まれ、東側には既存の中央ターミナルエリア、西側には混雑した高速道路が走っていた。
また空港はひとときたりとも閉鎖することはできなかった。つまりこのプロジェクトは、ヒースローの目まぐるしい活動を1分たりとも止めずに実行する必要があった。
それだけでも十分大変なのに、イギリスの主要空港を運営するBAAは、長年の計画立案を経て、2001年にこんな目標をぶち上げた。T5の建設を2002年に開始し、6年半後に完成させる。開業日は2008年3月30日の午前4時きっかりとする、と。
「つまり朝4時の時点で、コーヒーは熱々で、食事の用意が整い、ゲートの準備ができていなくてはならないということだ」と、T5の建設を監督した、BAAの役員で技術者のアンドリュー・ウォルステンホームは説明する。
これほど大規模なプロジェクトの開業日をこれほど早く発表するのは、控えめに言っても野心的で、見ようによっては無謀で、間違いなく異例なことだった。ヒースロー空港の混雑はひどく、年間数千万人の疲れた旅行客が、混雑した古い通路を荷物を引きながら移動していた。新しいターミナルの必要性は15年も前に認められたが、周辺住民の反対と、イギリス史上最長の公開協議のせいで、計画はなかなか前進しなかった。BAAが開業日を発表した時点で、T5を巡る全てが不透明だった。
そしてBAAはさらにプレッシャーを高めるかのように、イギリス国内の大型建設プロジェクトと海外の空港建設プロジェクトのデータを分析し、次の結論に至った。
もしT5のプロジェクトが標準的な結果に終われば、完成は予定より1年遅れ、予算を10億ドル超過するだろう。これではBAAは潰れてしまう。期日を表す「デッドライン」(死の線)という言葉は、アメリカ南北戦争時に捕虜収容所の周りに引かれた境界線に由来する。この線を越えた捕虜は、容赦なく銃殺された。BAAに恐ろしいほど当てはまるたとえである。
つまり、このプロジェクトを成功させるためには、標準をはるかに超えるパフォーマンスが必要だった。BAAはこれを実現するために、3つの戦略を用意した。
第一が、計画立案に関する戦略だ。T5は、精密なシミュレーションに使われる高精細デジタル表現技術を利用して設計された。T5は現実より先に、コンピュータ上で建設と稼働のシミュレーションが行われた。
このデジタルシミュレーションが、第二の戦略の、革新的な建設手法を可能にした。資材を現場に搬入し、そこで測定、切断、形成、溶接して建物をつくるという、エジプトのピラミッド以来の伝統的な建設手法を取る代わりに、資材を工場に搬入して、詳細かつ正確なデジタル仕様書をもとにパーツを製作し、それを現場に運んで組み立てた。T5は、素人目には普通の建設現場に見えたかもしれないが、実際には組立現場だった。
この違いの重要性は、いくら強調しても足りないほどだ。そして、建設が21世紀に生き残るためには、全ての大型建設現場でこの手法を取らなくてはならない。「製造組立容易性設計」(DfMA)と呼ばれるこのプロセスは、超効率的な自動車業界で設計開発に広く用いられている。元ジャガー社長で現BAA最高経営責任者(CEO)のサー・ジョン・イーガンは、イギリス政府に提出して大きな反響を呼んだ報告書の中で、この手法が建設の効率を大いに高めると論じ、T5でそれを実行に移したのである。
そして第三が、人に関する戦略だ。
人々が実力を存分に発揮できるのは、連帯意識と主体性を持って、価値ある目的の実現に本気で取り組むときである。このことは数々の心理学や組織学の研究によって裏づけられている。
これはごく当たり前のことでもあるし、こうした人々の集まりを指す用語さえある──「チーム」だ。もしT5プロジェクトに少しでも勝算があるとしたら、関係者全員が1つのチームになって取り組むときだ、とウォルステンホームをはじめ、T5の幹部たちは考えた。
また彼らは、それがどんなに大変なことかも知っていた。T5の建設には、幹部から弁護士、技術者、建築士、施工業者、測量士、会計士、設計士、電気技師、配管工、大工、溶接工、ガラス工、塗装職人、運転手、鉛管工、造園士、料理人等々までの数千人が関わることになる。ホワイトカラーとブルーカラーがいて、経営陣と組合員がいる。文化も利害も異なる組織からやってくる。だがこのまとまりのない集団を、連携が取れ、目的意識を持った、創意あふれるワンチームに変えなくてはならない。
ウォルステンホームは、これを実現するための意図的なキャンペーンを最初から推進した。「気の弱い人には向かない、大胆でリスキーな手法だ」と彼は笑う。「『何をやるべきか』(WHAT)を知っているだけでなく、『どうやるか』(HOW)を考えられる、最強のリーダーたちが必要だった」
経済地理学者。オックスフォード大学第一BT教授・学科長、コペンハーゲンIT大学ヴィルム・カン・ラスムセン教授・学科長。「メガプロジェクトにおける世界の第一人者」(KPMGによる)であり、同分野において最も引用されている研究者である。『メガプロジェクトとリスク』などの著書、『オックスフォード・メガプロジェクトマネジメント・ハンドブック』などの編著多数(いずれも未邦訳)。ネイチャー、ニューヨーク・タイムズ、ウォール・ストリート・ジャーナル、BBC、CNNほか多数の著名学術誌や有力メディアに頻繁に取り上げられている。これまで100件以上のメガプロジェクトのコンサルティングを行い、各国政府やフォーチュン500企業のアドバイザーを務めている。数々の賞や栄誉を受け、デンマーク女王からナイトの称号を授けられた。
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