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「採算ラインぎりぎり」 大黒湯は厳しい経営状態から、どうやって人気銭湯になったのか?(2/2 ページ)

» 2025年02月07日 08時30分 公開
[大塚淳史ITmedia]
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立ち退きで離れていった常連客 窮地に陥った大黒湯の一手

 銭湯を取り巻く厳しい状況の中、大黒湯を盛り上げるために神保さんがまず取り組んだのが「温泉」というブランディングだった。

 元々大黒湯では地下水を使っていたことを踏まえ、あらためて成分を調べてみたところ、温泉法の認定を満たす成分だったことが分かった。それまでの大黒湯という名前の前に「押上温泉」と付けてアピールした。

 他にも、薬湯が毎日異なる「変わり湯」を取り入れたり、公式Webサイトを作ったり、SNSを通じた宣伝に取り組んだりした。特にX(当時はツイッター)などSNS上で大黒湯の情報を発信していくことで、近所の常連以外の人たちにもアプローチしていった。

 しかし、客は期待するほど増えなかったという。さらに、苦難が降りかかってきた。常連たちの引っ越しだ。

 「その時、スカイツリーの建築が進んでいて、近所の常連さんをはじめ、お風呂がない長屋に住んでいらっしゃった方々がどんどん立ち退きになっていき、毎日のように『今度引っ越すよ』と。既存のお客さまがどんどん減っていくんですよ。日々ここ(番台)でそんな会話がありました。ただ、いろいろな施策をしていたから新規の方も来てくださるようになり始め、だからお客さまの数は減らなかった。最初の頃にいろいろ取り組んでいなかったら本当に怖かった。新しい方がいきなり来ることはないので。その時期にしっかりお客さまを迎えることができました」

スカイツリーの建築に伴い、常連客の足が遠のいていった

 新しい客層が入るようになってきているとはいえ、果たして将来的に銭湯を続けることができるのか。「この銭湯を次の時代に持っていきたいと思った時に、今のこの状況のまままだと到底続けられない」と、新保さんは考えた。では、どのような決断をしたのか。

大黒湯が人気銭湯になった転換点

 2014年に大胆な取り組みに挑んだ。これまで、まき置き場や駐車場として利用していた場所を改修工事して、大露天風呂を作ることにしたのだ。

 「次の時代に銭湯を持っていくためには、若い方にも来ていただかなくてはいけない。工事前に200軒以上の銭湯やスーパー銭湯を回って、この地域なら何がいいだろうと模索しました。その中で、露天風呂やゆっくりできる場を作ったらお客さまも喜ぶんじゃないかと考えました。PCや携帯電話をずっと使っている中で、デジタルデトックスではないですが、ぼーっとできる時間をうちで過ごせれば、お客さまにメリットがあるんじゃないかと見込んで、改修に踏みこみました。その費用は家が一軒建てられるほどでしたね。家族もいますし、路頭に迷う選択かもしれないとビビってましたが思い切りました。チャレンジングでしたね」

大黒湯自慢の大露天風呂(画像:大黒湯公式Webサイトより)

 街の銭湯とは思えない規模の露天風呂は、建物内の湯船とはまた異なる趣がある。新保さんの期待通り、大黒湯の大きな売りとなっている。筆者は大黒湯の近所に住んでいることもあって、度々利用しているが、露天風呂に漬かりながら夜空を見上げるのは格別だ。新保さんの狙い通り「改修と同時に多くのお客さまが足を運んでくれるようになった」という。

 もう一つ、大黒湯にとって大きな転換点になったのが、2016年に行ったコラボレーションだ。資生堂のヘアケアブランド「TSUBAKI」の10周年を記念し、写真家で映画監督の蜷川実花さんがプロデュースした「TSUBAKI湯」を期間限定で展開。新保さんは「他の地域からの認知度が格段に上がりました」と当時を振り返る。

 これ以降、大黒湯ではさまざまなコラボレーションが定期的に行われている。ニコニコ超会議、くまモン、アズールレーン、男梅などコラボ先は多岐にわたる。現在はアニメ『わたしの幸せな結婚』のコラボ湯が約3週間にわたって行われている。その都度、普段とは異なる新しい客が大挙し、銭湯に接する機会へとつながっている。

待合スペースで大々的にコラボを展開している。現在はアニメ『わたしの幸せな結婚』

 「コラボレーションのお話をいただいた時は施工のために長い期間お休みをしないといけなくて、常連さんがお困りになると思っていたんですけど、新しい一つのチャレンジだとも思いました。企業側も若い人が喜ぶ施策をしてくださり、共に上がっていけました。PRもできるというのが銭湯にとっては一つのあり方なのかもしれません。大昔、銭湯の壁に描かれたペンキ絵の下に広告を募っていたこともありました。携帯を持って入れないので、『広告を見る』という点では相性が良かったのだと思います」

客層も大幅に拡大 新たな大黒湯に

 もともとの銭湯の良さに加え、こういったコラボレーションなどでもしばしば話題を呼び、今では近所、地域外の客だけでなく、海外からの旅行客まで多く来るようになっているという。コロナ前もすでに中国、韓国、台湾などアジア圏の旅行客をよく見かけたが、今では欧米圏の旅行客もよく見るようになった

 ついには番台の向かい側にある券売機が英語対応になっていたり、しばしば番台に立つ新保さんの母親が片言の英語を駆使して、サウナの使い方を説明したりする姿を見かけるほどだ。日本人の利用客も増えて、外国人旅行者も増えてと、新保さんが引き継いだ頃には想像していなかったであろう光景が連日広がっている。

 新保さんが大黒湯を引き継いだ2012年から13年。押上温泉 大黒湯は今や多くの人に愛される銭湯となった。

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