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初任給アップの代わりに、ボーナスがなくなる? 大企業で進む「賞与減・月給増」は広がるか

» 2025年02月20日 07時00分 公開
[神田靖美ITmedia]

著者紹介:神田靖美

人事評価専門のコンサルティング会社・リザルト株式会社代表取締役。企業に対してパフォーマンスマネジメントやインセンティブなど、さまざまな評価手法の導入と運用をサポート。執筆活動も精力的に展開し、著書に『スリーステップ式だから、成果主義賃金を正しく導入する本』(あさ出版)、『会社の法務・総務・人事のしごと事典』(共著、日本実業出版社)、『賃金事典』(共著、労働調査会)など。Webマガジンや新聞、雑誌に出稿多数。上智大学経済学部卒業、早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了。MBA、日本賃金学会会員、埼玉県職業能力開発協会講師。1961年生まれ。趣味は東南アジア旅行。ホテルも予約せず、ボストンバッグ一つ提げてふらっと出掛ける。

 大企業を中心に、初任給を引き上げる動きが盛んです。中には、賞与額を引き下げ、給与にシフトさせる企業もあるようです。この動きは広まっていくのでしょうか。企業と従業員、それぞれの立場から整理して考えます。

初任給の横並びは“崩壊”……今後のトレンドは?

 図1は「マイナビ・日経 2025年卒大学生就職企業人気ランキング」による「文系総合ランキング上位10社」の初任給です。

 これをみてまず言えるのは、初任給の横並びはほぼ崩れたということです。かつて、新規学卒者の初任給は大企業も中小企業も、製造業もサービス業もほぼ同額でした。それが今では、トップ10企業でさえ、最高額と最低額の間に1.3倍近い格差があります。

photo 図1:大学生の就職人気トップテン企業の初任給/就職人気トップ10企業は「マイナビ・日経 2025年卒大学生就職企業人気ランキング」(文系総合)、トップ10企業の初任給は各社Webサイト、東証プライム上場企業および東証プライム上場企業以外の企業の初任給は労務行政研究所『2024年度決定初任給の最終結果』より。図は筆者作成。

 考えてみれば、新入社員でも賞与や諸手当には企業によって差があり、年間賃金にも差があります。生涯賃金にも差があります。それにもかかわらず基本給だけ横並びをする意味はありません。企業は価格や品質で厳しい競争を日常的に繰り広げているのに、初任給だけ競合企業と協調する必要もありません。初任給相場が崩壊しても驚くことはありません。

初任給上昇の3つの要因

 初任給が上がる背景には、3つの要因があると思われます。まずは若年人口の減少です。図2は出生率の推移を示したものですが、絶滅危惧種もかくやと思われるほどの減り方です。厚生労働省は出生数について、2040年で74万人と推計していますが、2023年にすでにこれを下回っています。新卒採用は年々、厳しさを増しています。

photo 図2:出生数の推移/厚生労働省『人口動態統計』より筆者作成。

 2つ目の要因は、「就職氷河期」をきっかけとする正社員減少からの揺り戻しです。就職氷河期は、あたかもその10年間だけが極めて厳しい状況であり、その後は状況が回復したと思われがちです。国の「就職氷河期世代支援プログラム」も、氷河期世代を1993〜2004年に学校を卒業した世代と定義しています。

 しかし労働経済学者で、自身も2001年に大学を卒業した近藤絢子氏によると、氷河期世代より後の「ポスト氷河期世代」(2005〜2009年卒)や「リーマン震災世代」(2010〜2013年卒)の方が、より正規雇用が減り、非正規雇用が多くなっています(『就職氷河期世代-データで読み解く所得・家族形成・格差』2024年、中公新書)。

 若者の数が減っている上に、20年近くにわたって正社員を減らしてきたのであれば、新卒者が希少な存在になるのは当然と言えます。

 3つ目の要因は、賞与から月給にシフトする動きです。例えば大和ハウス工業は2025年4月から、高専・専門学校卒、大学卒、大学院卒の初任給をそれぞれ10万円引き上げます。これについて同社のニュースレターは「今回の給与改定では、月例給与と賞与の比率を大きく見直し、業績に左右されない月例給与水準を大きく引き上げるもの」と説明しています。月給を増やしたのと同額の賞与を減らすわけではなく、年収を10%増加させる予定です。

 ソニーグループも大卒初任給を14%引き上げて31万3000円にしますが、これに伴って年末賞与を廃止します。なお、夏季賞与は存続します。

賞与から月給にシフトする動きは広がるか

photo “給与シフト”の流れは広がっていくのか(提供:ゲッティイメージズ)

 年間賃金の一部を賞与から月給にシフトすることは、働く人にとって歓迎すべきことでしょう。

 まず、賞与は労働条件を不透明にしています。企業の採用サイトをみると、初任給は実に詳しく、基本給はもちろん地域手当や住宅手当まで開示しています。しかし賞与については、大企業でさえ「年2回」との記載にとどまり、肝心の金額が示されていません。このため年間賃金を推計できません。

 厚生労働省の『賃金構造基本統計調査』によれば、賞与は日本の労働者(一般労働者)の年間賃金の18%を占めています。従業員1000人以上の大企業の大卒男性では、24%を賞与が占めています。これほど重要な労働条件が、採用のときに明示されず、入社後も支給されるまで金額が分からない状況は、健全とはいえません。

 次に、賞与は労働基準法で定める賃金でありながら、働く人の側からみれば必ず「受け取り損ない」があります。

 賞与には算定対象期間があり、その間の出勤率に応じて支給されます。例えば「今回の賞与は2025年4〜9月を算定対象期間とし、12月10日に支給する」といった形です。

 「賞与をもらってから辞める」という人はよくいますが、その場合でも10月1日から12月10日までの労働に相当する賞与は受け取れません。また、これはフェアなことではありませんが、賞与を受け取ってすぐ退職する人には、実績にかかわらず最低の成績をつけたり、甚だしくはそこからさらに減額したりする経営者もいます。

 最後に、そもそも企業がどうして賞与を支給するのかがはっきりしません。

 しばしば賞与は「働く人への利益配分だ」または「インセンティブ報酬だ」あるいは「人件費の変動費化である」との言説を耳にします。しかしこれらは専門的な分析でいずれも否定されています。

 欧米で役員や上級管理職にだけ支払われている、個人業績に厳格に連動するマネジメント・ボーナスならまだしも、日本式の、新入社員にまで支給される賞与で「私が努力すれば賞与が増える」と本気で考えている人がいるとは思いがたい面があります。

 利益配分という説も半ば虚構であり、企業業績と賞与の間に相関はほとんど見られません。企業全体の賞与は2008年の世界金融危機をきっかけに大きく落ち込みました。その後企業は過去最高益を立て続けに更新したにもかかわらず、賞与は低迷したままでした。

 人件費の変動費化というのは、企業は業績不振になれば賞与を減らすことができるため、人員整理を回避できているという説です。これも専門家には否定されており、賃金の調整は賞与よりもむしろ春闘によってなされてきたと指摘されています。

 早稲田大学教授の大湾秀雄氏と青山学院大学教授の須田敏子氏は「議論の余地のないほど有力な経済合理性が見出せないにもかかわらず、日本の賃金制度において賞与の割合は極めて高い」と述べています(『なぜ退職金や賞与制度はあるのか』、労働政策研究・研修機構『日本労働研究雑誌』2009年4月号)。

 これらの点から、年間賃金に占める賞与の比重を抑え月例賃金の比重を高めることは、労働条件の魅力を高め、それでいて働く人のインセンティブを損ねることも、経営上のリスクを高めることもなく、企業として合理的な行動といえます。賞与から月給にシフトする動きは、今後さらに広がると予想されます。

 賞与は世界で日本企業だけの慣行です。経済的に合理性があるならば、諸外国の企業も採用しているはずです。初任給引き上げの動きは、賞与消滅への序章かもしれません。

学生は初任給を重視しているか

 そもそも学生は初任給を重視しているのでしょうか。労働経済学者の米田耕士氏は、賃金をはじめ企業規模や残業時間数などさまざまなデータと就職人気との関係について分析しています。それによると、平均年収が高い企業ほど応募倍率が高い傾向はあるものの、初任給と応募倍率には有意の関係がないことを示しています(『大学生の就職活動における大企業志向は何が要因か』『日本労働研究雑誌』2015年5月号所収)。

 図1で示した就職人気企業の中で1位のニトリは、2位のみずほフィナンシャルグループを、得票数で1.8倍も引き離しています。しかし初任給はトップ10企業の平均を下回っています。第7位である日本航空の初任給は、グラフには示していませんが、東証プライム上場以外の企業、すなわち「日本の一般的な企業」の大卒初任給の平均値である22万7437円(資料:労務行政研究所『2024年度決定初任給の最終結果』)とそれほど大きな差がありません。

人は何を重視して仕事を選んでいるか

 エドワード・P・ラジアーとマイケル・ギブスは、働く人は仕事の属性を次の順で評価していると述べています。

  • 上司に対してより強い信頼があること
  • さまざまな課題をこなせる仕事であること
  • 高い能力が必要な仕事であること
  • 仕事を終えるために十分な時間があること
  • より報酬が高いこと

(『人事と組織の経済学・実践編』2017年、日本経済新聞社)

 興味深いことに、賃金は最も重要性が低いとされています。初任給は年間賃金のほんの一部を占めるにすぎないため、当然といえば当然のことなのかもしれません。

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