最も一般的に知られているのが米国のアカデミー賞でしょう。1927年に設立された「映画芸術科学アカデミー」の夕食会の一環として授賞式がはじまったとされています。第1回は1929年5月16日にロサンゼルスにあるルーズベルトホテルで行われた夕食会で賞を授与。当初はオスカー像(裸の男性の像)ではなく、同様のデザインを施した楯が贈られていたようです。
第2回から地元ラジオ局により実況がスタートし、第17回から全国放送されました。エンタメ色が色濃くなったのは、米国が第二次世界大戦に参戦した1942年以降で、前線にいた兵士たちを喜ばせるためだったとも言われています。
「米国映画の祭典」と言われることから、基本的には自国の映画を対象とした映画賞で、選考対象も「1年以内にロサンゼルス地区で上映された作品」とされています。毎年1月にノミネート作品を発表し、映画芸術科学アカデミー会員の投票が行われ、2月の最終日曜もしくは3月の第一日曜に授賞式が行われることが多くなっています。
世界三大映画祭よりも古い歴史と知名度を持つ賞であることから、マーケットへの影響力は国際映画祭の各賞以上に大きく、受賞結果が各国の興行成績に大きな影響を与えます。世界三大映画祭ではグランプリ、米アカデミー賞では作品賞の受賞が興収アップに直結すると言えるでしょう。映画に携わる者の夢の舞台、憧れの場でもあります。
なお、2025年に第48回を迎えた、日本アカデミー賞の最優秀賞を決める授賞式は毎年3月に開催されています。映画ファンと共に、映画界に従事する映画人と前年の総決算として互いを称え合う式典となっていて、最優秀作品賞など主要賞を受賞した作品は再上映されたりします。
映画ジャーナリスト、プロデューサー
1974年東京生まれ。1997年に文化通信社に入社し、映画業界紙の記者として17年間、取材を重ね、記事を執筆。邦画と洋画、メジャーとインディーズなどの社長や役員、製作プロデューサー、宣伝・営業部、さらに業界団体などに取材し、映画業界の表と裏を見てきた。現在は映画の情報サイト「映画.com」の記者のひとりとして、ニュースや映画評論などを発信するとともに、映画のプロデュースも手掛ける。プロデュース作品に『死んだ目をした少年』『ポエトリーエンジェル』『踊ってミタ』などがある。田辺・弁慶映画祭の特別審査員、京都映画企画市の審査員も務める。
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