2000年代初頭、JALはナショナルフラッグキャリア(国を代表する航空会社)として、国際線の路線数や就航都市数も圧倒的に多く、「日本の航空会社といえばJAL」と言われていました。
しかし、このころからすでにANAは収益率向上のため、さまざまな取り組みを行っていました。徐々に普及し始めたインターネットを活用し、法人向けのインターネット出張手配システム「ANA@desk」を構築して、企業の出張手配を効率化しました。また、「超割」などの新たな割引運賃の設定や、インターネットを活用して直販チャネルを確立し、幅広いユーザーの獲得に乗り出していました。
ANAが国際線拡充のための動きを積極的に行っていったのも、実はこの時期からです。ANAは2004年4月に、ボーイング787という中型機の導入を決定しました。それまでは、ボーイング747を代表とするジャンボジェットと呼ばれる機材が主流でした。
しかしジャンボジェットは機体が大きいために空席率が高くなりやすく、燃費が悪いため採算が取りづらいというデメリットがありました。当時ANAが主要空港として使っていた成田空港から、採算性を高めながら国際線を飛ばせるよう、燃費がよく、長距離の飛行にも最適な中型機を導入することはかなり理にかなった選択だったと感じます。
また、ボーイング787の購入資金を調達するため、グループ会社であり、かつ収益性も高かった全日空ホテルなどを、2008年のリーマンショックが始まる前に売却できたのも大きかったでしょう。
一方で、JALはパッケージ旅行の販売やホテル事業など、採算性が低い事業の改善や整理することはできず、ANAのように適切なタイミングで、戦略をもって売るという選択ができていませんでした。
「選択と集中ができたANA」と「決めきれなかったJAL」。経営判断の差で、大きく明暗が分かれたといえます。
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