東向島珈琲店に地元の人が引き寄せられる理由:人と人、人と街をつなぐカフェ(4/4 ページ)
東京スカイツリーからほど近く、地元・墨田区界隈で暮らす人たちや企業をつなぐ拠点として有名なカフェがある。この店を起点に地域活性化に対するさまざまな取り組みが行われている。
街とカフェの関係
“絵本に登場しそうなマスター”は生まれも育ちも墨田区である。幼い頃は銭湯に通っていたという井奈波さんは、銭湯をコミュニティーの場ととらえる。
「おじいちゃんから小さな子どもまでやって来て、1つの空間を皆でどうにかやりくりして調和させている。よく『水を跳ね飛ばすんじゃない』とか注意されたりして(笑)、そんな中で培われた部分はあるかもしれない」
実家の隣がお寺だったため、遊び場は老若男女が訪れるお寺の境内。そんな下町らしい環境で両親の愛情を受けて育ち、学生時代にはよく学級委員を任されていた。面倒見がよく、他者の心の機微をすくいとることのできる性質は、早くから身に付いていたのだ。
専門学校卒業後はホテルマンとしてサービスを学び、その後、ハワイに1カ月ほど滞在。毎朝ハワイのカフェに通っているうちにその空気感の心地よさ、スタッフとお客の距離の近さに強い印象を受け、自身でカフェを開業することを決意した。
帰国するとまずカフェの基本であるコーヒーの技術を習得するため神田の「高山珈琲」で働き、コーヒー抽出だけではなくカウンターでの所作から店内への目配りまで、尊敬するマスターから高いプロ意識を学んだ。その後、別のカフェで店長を務めて経験を積んでから東向島珈琲店を開業。人々の出会いときっかけ作りの場としてカフェを豊かに育ててきた。
「何か実現しようとしている人の意欲に僕が合致して、役に立てることに嬉しさを感じるんです。人に助けてもらって嬉しかった記憶がたくさんあるので、自分も助けたい、役に立ちたいと思うんでしょうね」
東向島珈琲店は「世界がこうであったら」が実現されている場所だ。志を抱いて良いものを作っている人、不器用でも熱意があってひたむきな人。そんな人々に光を当て、夢を1つずつ形にしていくのを後押しする。ささやかな個人や個店の奮闘などあっという間に掻き消されてしまうように見える世界の中で、ここには良き想い、優れた技術、地道な努力、優しい思いやりが殺されない小さな特別区があるのだと思う。
「いい街にはいいカフェがあるんじゃないか。あるいは逆に、いいカフェが街を素敵に変えていくんじゃないか。カフェがあるから地域が活性化することがあるかもしれないと、9年間カフェを続けてきて思えるようになった。集まって来る人たちのなにがしかのパワーが、カフェという場で具現化するんです。カフェには会話があるし、『じゃあ、こういうことをしてみたら?』というところまで行きつける時間もありますから」
井奈波さんは墨田区の「食のまちめぐり推進事業実行委員会」も引き受け、多くの人々を巻き込んでさらに街の引力を高めようとしている。2020年の東京オリンピック開催時には、海外から多くの観光客が東京を訪れるはずだ。そのとき、飲食店が観光の目玉の1つとなって彼らを墨田区に呼び寄せることができるように、英語メニューなどの準備を始めているのだ。
いい飲食店のある街は、行って散策してみたくなるものだ。読者の方々にもぜひ“東向島珈琲店のある街”を訪れて、その魅力を味わっていただきたい。
著者プロフィール
川口葉子(かわぐち ようこ)
ライター、喫茶写真家。著書に『東京カフェ散歩 観光と日常』、『京都カフェ散歩 喫茶都市をめぐる』(祥伝社)、『街角にパンとコーヒー』、『東京の喫茶店 琥珀色のしずく77滴』(実業之日本社)他多数。雑誌、Web等でカフェやコーヒー特集の監修、記事執筆多数。Webサイト『東京カフェマニア』主宰。
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