巨人・高橋由伸監督が過去2度に渡って直面した「悲哀な運命」:赤坂8丁目発 スポーツ246(3/4 ページ)
2016年のプロ野球で注目すべきことのひとつに、12球団で最年少指揮官となった巨人・高橋由伸監督の存在が挙げられる。40歳の若さで人気球団の現場トップとなるわけだが、半生を振り返ってみると、光だけでなく影の部分も見え隠れしてくる。
高橋は屈することなく「運命」を受け入れる
多くの主要なスポーツメディアでタブーとされているプロ入団時の経緯についても同じことが言える。1997年11月4日の記者会見。慶大野球部で天才スラッガーの名をほしいままにしていた高橋は巨人を逆指名した。この当時のドラフト制度は高校生以外の新人選手に1位と2位のみ逆指名権が与えられており、9球団が争奪戦を繰り広げたプロ最注目の高橋が一体どの球団を指名するのかに早くから注目が集まっていた。
「自分の気持ちはもう固まっています。六大学(野球)で慣れ親しんだ神宮球場で活躍したいと思っています」
当時の各スポーツメディアでも報じられていたように高橋は当初、大勢の報道陣の前で何度となく、こう語っていた。神宮球場をフランチャイズとするヤクルトスワローズへ入団する意思があることは本人を通じ、当時の野村克也監督と片岡宏雄スカウトにも伝わっていた。ところが、相思相愛で「ヤクルト・高橋由伸」が誕生するはずだった流れが思いもよらぬ形で巨人に引っくり返されてしまった。
逆指名会見の前夜、千葉県内の高橋家では約8時間にも及ぶ家族会議が行われ、ここで高橋は意中の球団を変更せざるを得ない状況へ追い込まれていた。不動産経営で莫大な借金を抱えていた実父に「負債を肩代わりする見返りとして、息子さんをウチに入団させてほしい」と巨人側が水面下でアプローチを仕掛けていたことが一部関係者によって暴露されてもいるが、その真相はまだ闇に埋もれている。
しかしながら高橋がこの約8時間の間に家族から何らかの説得を受け、巨人入団を決意しなければならなくなったことだけは事実だ。それは逆指名会見当日、冒頭で笑顔などまったく見せず目に溢れんばかりの悔し涙を浮かべながら「読売ジャイアンツを逆指名させていただきます」と切り出した高橋の姿からも容易に察することができる。
一部のメディアからは「由伸はカネでジャイアンツに釣られた」とバッシングを受け、入団当初はマスコミとの間にすきま風が吹いた時期もあった。だが――。高橋は屈することなく「運命」としてすべてを受け入れ、ジャイアンツの一員として自身のモットーである日々全力プレーを心がけた。天才と称される技術力の高さだけではなく、ケガをも恐れぬ気持ちの強さも全面に押し出しながら攻守に渡って活躍。フォア・ザ・チームに徹する姿勢にファンはもちろん、チームの面々も魅了された。数多くのG党から愛される背番号24の歴史は、こうして築き上げられていったのだ。
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