会社勤めをやめ、カフェを開く意味:人と人、人と街をつなぐカフェ(3/4 ページ)
カフェは店主やお客によって育てられると同時に、店主やお客を育てていく。この相互作用を体現しているお店、雑司ヶ谷の「あぶくり」と中板橋の「1 ROOM COFFEE」もそんなカフェと呼べるだろう。
「おまえは弱小高校の監督なんだ!」
もう1つの例は、企業が経営するカフェで店長として活躍した後、板橋区中板橋に自らが経営する「1 ROOM COFFEE」をオープンさせた内山道広さんである。
彼の進化は2段階に分かれている。最初のステップは、カフェ勤務時代の20代半ば、店長を任されたことを契機に世界観と目標が変化。次のステップは30代後半、店主として「価値コミュニティー」を醸成しながら人との交流の質をより深めている。
少年時代の内山さんは、子ども同士で遊びに出掛ける際に母親たちから「内山くんが一緒なら安心」と頼られる存在だった。だが、自己認識は少し違っていた。
「器用な生き方をしていたんだと思います。何事もうまく切り抜けられれば良しとしていた」
最初に勤務したコーヒーチェーンでも要領良く仕事をこなして店長に昇進する優秀さ。しかし、その責任ある立場が内山さんの世界観を変えることになる。
「スタッフが指示通りに動いてくれないという壁にぶち当たった。自分がやれるからほかの人々もやれるはずだと思い込んでいたが、仕事ぶりは十人十色。当時の上司に言われたのは『おまえは精鋭選手が集まるPL学園の野球監督をやってるんじゃない。弱小高校の監督なんだ』ということ。皆、一から練習しなければならない状況で勝つことを考えるよう言い含められました」
これまで優秀なプレイヤーであろうとしてきた目標を変え、良い監督を目指すことを決意した内山さん。その後、企業が展開するカフェに9年間勤務して店長経験を重ね、2013年秋に自らのコーヒーショップを開いた。
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