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あの史実が明らかになったのは最近だった! まだまだ謎多き上田城「真田丸」を100倍楽しむ小話(2/2 ページ)

真田昌幸が居城とした信州・上田城。この城は何とっても攻め込んできた徳川軍を2度にわたり退けたことで有名です。実はいまだに謎が多い城のようです。

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小日向: 2008年に元上田市立博物館館長の寺島隆史先生が研究発表したことで明らかになったんです。そのころには私も上田に通う機会が多くなっていて、当時、トークショーで寺島先生の発表をお聞きしたときは驚嘆しました。さらに昌幸公のファンになりましたね。

 当時、まだ世の中ではほとんど出ていない情報だったので、しばらくはテレビで話すときも「寺島先生の最新研究によると」と枕詞をつけて話すようにしていました。

今の上田城はちょうど桜が見ごろ
今の上田城はちょうど桜が見ごろ

 あと、上田城に関しては、天守閣があったのではという議論もなされています。古文書や絵図面などからは天守閣に関する情報は残っていないのですが、上田城の付近から金箔を貼ったシャチホコや瓦の破片がいくつか見つかっていて、そのシャチホコの復元を見ると、けっこう立派な大きさなのです。

 櫓につけるサイズでもないので、天守閣があった可能性は大いにあると、研究者の先生方もおっしゃっていました。

 上田の人たちとお話しすると、この町にはまだ発掘されていないものがたくさんあるはずなので、ぜひ今後も調査を進めていきたいと、皆さん嬉しそうです。これも歴史ならではのロマンですね。

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