これぞ町工場の底力 廃業の危機を救った「おじいちゃんのノート」とは(2/4 ページ)
あることをきっかけに、たった数カ月で創業以来最高の売り上げを出した中村印刷所。一体何があったのか。当時のことや、これからのことを社長の中村さんから詳しく聞いた。
倒産の危機をきっかけに、自社製品の開発へ
中村印刷所は、中村さんの父親が1938年に創業。印刷会社として名刺や伝票などの印刷業務を請け負ってきた。しかし、徐々に紙の需要が減っていくとともに、5〜6年前から経営状態が悪化し始めたという。「このままでは、廃業するしかない」――。追い込まれた中村さんは今までの業務だけでなく、自社でオリジナル商品を開発することを決めた。
中村さんは印刷業と領域の近いノートの開発に着手。スタンプラリーができる観光用のノートを作るなど、試作品を作っては営業をかけた。中には売れたものもあったが、利益は微々たるもの。安価に設定しなければ買ってもらえなかったのだ。しかし、従業員が3〜4人で大量生産ができない同社は、値段を下げれば利益がほとんどなくなってしまう。
価格競争になってしまえば勝てない。もっと、付加価値の高いノートを作って勝負しなければ――。そこで、社運をかけて開発したのが「水平開きができる方眼ノート」だった。ノートを開いたときに、“中央の膨らみ”がなければ書きやすくなる他、コピーやスキャンもやりやすくなる。「完全に水平に開けるノートがあったらいいのに」と考えていた中村さんは4年ほど前から開発に着手していた。もちろん、簡単にできるものではない。そのノートを作るためには、「柔軟性」と「強度」の絶妙なバランスが求められ、何度も試行錯誤を繰り返す必要があった。
ちなみにこの頃、同社の近くで製本会社を営んでいたある男性が事業に行き詰まり、会社を畳むことになった。その彼に中村さんは「一緒にノートを作ろう」と声をかけた。製本の知識を持つ仲間が加わったことで、完成度が徐々に高まっていったという。2人で知恵を絞りながら何度も挑戦し、2年かけてようやく開発に成功したのだった。
関連記事
- 10万円でも即日完売 大人が使うランドセルはどのようにして生まれたのか
大人向けのランドセルに関するニュースをここ最近よく耳にするようになった。その中でも、土屋鞄製造所の「OTONA RANDSEL」がいまスゴいことになっているという……。 - 東京下町の町工場が15年で取引先を120倍にできた理由
減少し続けている東京下町の町工場。そうした苦しい時代の中でも取引先を15年で120倍に、売上を20倍に増やし、成長し続けている町工場ある。 - 累計260万丁! 工具「ネジザウルス」がバカ売れした理由
これまで“絶対にはずせない”と思われてきたネジを、“絶対にはずす”工具「ネジザウルス」(運営:エンジニア)をご存じだろうか。工具は年間1万丁売れれば大ヒットと言われている中、ネジザウルスは累計260万丁も販売。消費者の心を“つかんだ”理由について、同社の高崎社長に聞いた。 - 年間生産180万本 それでも「吉田カバン」が職人の手作業にこだわる理由
ジャーナリスト・経営コンサルタントの高井尚之氏が、人気企業・人気商品の裏側を解説する連載。今回は、職人が手作りで年間180万本を生産する「吉田カバン」について読み解く。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.