クルマは本当に高くなったのか?:池田直渡「週刊モータージャーナル」(4/4 ページ)
最近のクルマは高いという声をよく耳にする。確かに価格だけを見るとその通りだと思う一方で、その背景には複雑な事情があることもぜひ主張しておきたい。
クルマのコストアップ
もちろんクルマの価格が上がっているのはもっと技術的な理由もある。1990年代に世界中で衝突安全基準が設けられ、シャシーの開発コストが高騰した。各種の電子制御安全デバイスも必要になった。排気ガスや低燃費など低環境負荷対策にもコストはかかる。そういうものを飲み込みつつクルマの製造原価は上がり、同時にそれと釣り合うように賃金が上昇してきたのが欧米だ。しかし、その間日本の賃金だけが10%以上も目減りしていたのだ。
自由主義経済の基本は競争だ。より良い性能のものをより低価格で作る。それを徹底的に貫いて日本はクルマを作ってきた。隣国に「世界の工場・中国」があったせいもあるだろう。中国に負けないために、日本は必死に労働単価の差を補正し続けてきたのだ。近年の製造業の日本回帰を見れば、それに成功したとも言える。しかしその成功の結果、賃金は異常に抑制され、マーケットの購買力がなくなった。成功したにもかかわらず、メーカーも消費者も誰も得をしていない。得をするのは海外からの旅行者だけという極めて皮肉に満ちた結果になっている。
ではどうすべきなのか。日本人はデフレ経済に慣れすぎた。2500円のランチを普通に食い、300万円のクルマをポンと買うようになれば、物価は急速に先進国水準に戻るだろう。だが、それを消費者に丸投げされても困る。筆者自身もとても2500円のランチは食べられない。牛丼にトッピングして500円オーバーになっただけで、ちょっと節約が足りていない気分になる。
では企業が賃金を上げればいいのか。それができればいいが、企業の側にも都合はある。バブル崩壊以降、人件費に圧迫されて窮状に陥った記憶が骨身にしみている。厳しい労働法規のせいで、正規雇用人件費の弾力性がゼロなのだ。慎重にならざるを得ない。鶏が先か卵が先かの話そのものだが、企業が賃金を上げないから消費が伸びず、消費が伸びないから賃金が上がらない。
日本の労働者の質は高い。世界に冠たるサービスを安い賃金で提供する状況にすっかり慣れてしまっているのだ。俯瞰(ふかん)的に見れば、製品やサービス、労働のクオリティを正しく評価し、対価を支払える人が減ったことがその原因であることはほぼ間違いない。では、それを解決するにはどうすべきなのかという決め手が今のところどこにもないように思える。企業は適正な人件費を払わず、顧客は商品やサービスに適正な対価を支払っていない。教育の問題と言えばそうなのだが、それを誰がどこでやるのか。その先が見えてこないのだ。
筆者プロフィール:池田直渡(いけだなおと)
1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(カー・マガジン、オートメンテナンス、オートカー・ジャパン)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。
現在は編集プロダクション、グラニテを設立し、自動車評論家沢村慎太朗と森慶太による自動車メールマガジン「モータージャーナル」を運営中。
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