鉄道会社向けの「人身事故損害保険」は必要か?:杉山淳一の「週刊鉄道経済」(2/3 ページ)
今年3月、最高裁でJR東海が敗訴した。認知症患者による人身事故について、家族への損害賠償請求が認められなかった。恐らくこの事例がきっかけとなって、鉄道会社向けの人身事故損失に対する保険商品を発売された。しかし、改めてJR東海の裁判の意図を推し量ると、この保険は空回りしそうな気がする。
訴訟の意図は「敗訴」と「悪人の不在」
この裁判は「認知症という社会問題と企業の対応の仕方」といった問題を浮かび上がらせた。しかし、JR東海の意図は違う、と私は考える。JR東海の意図は損金処理の下地作りだ。むしろ、JR東海は敗訴を想定して訴訟を起こし、一審の勝訴こそ想定外、二審も不服、最高裁判決の敗訴で安堵した。むしろ、JR東海は敗訴するために訴訟を起こした。負けて勝つためだ。
そもそも資本金1000億円を超え、売上高1兆円以上、約2500億円の利益を得るJR東海が、1つの家族に対して、たった720万円程度の損害補償を求めるという行為を疑う。事故は不可抗力であり、この程度の金額なら損金処理で済ませてもよさそうだ。いじめと批判されても仕方ない。ちなみに最高裁判決があった3月1日のJR東海の株価は2万365円で、前日より150円高。翌日3月2日の株価は2万750円と上昇した。最高裁敗訴は企業イメージにとって良くないけれど、株価は下がらなかった。
仮に、JR東海の目的が約720万円の損害補償ではなかったと考えてみよう。JR東海が金銭の代わりに欲しかったモノ。それは「損金処理の裏づけ」ではなかったか。JR東海にとっては小さな金額でも、損金処理をするためには「損害賠償の請求先がない」という事実が必要になる。上場企業として、損金処理には確固たる説明責任がある。事故の被害者はJR東海であり、本来は事故を起こした責任者が補償すべきだ。しかし、相手に悪意も責任能力がなければ、自社で処理するしかない。
そこでJR東海は裁判を起こした。敗訴が前提にある。訴訟の意図は、この事故に対する「責任者の不在」だ。最高裁判所はJR東海の意図通り「JR東海の過失はなく、遺族にも過失はない」という判決を出した。今後、これが判例として有効になる。同様の人身事故が発生して損害が出たとしても「最高裁が認めたから損金処理しますよ」となる。最高裁判決だから株主も文句を言えない。
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