“超長寿業態” 日本初のビヤホール「銀座ライオン」の歴史をひも解く:長浜淳之介のトレンドアンテナ(4/5 ページ)
首都圏に38店、全国に63店を展開している老舗ビアホール「銀座ライオン」。流行(はや)り廃りが激しい外食業界の中で世代を越えて愛好される、超長寿業態となっているその秘訣、歴史をひも解く。
ビジネス街に続々と店舗を出店
1923年に発生した関東大震災からの復興の中で、1934年に大日本麦酒本社ビルが銀座7丁目に竣工。中央通りに面したその1階に「銀座ビヤホール」が営業を始めた。8丁目にあった元祖恵比寿ビヤホールの後継となる店だ。馬越社長は未来永劫(えいごう)、残っていく店を目指した。
これが今日のビヤホールライオン銀座七丁目店であり、現存する最古のビヤホール。太平洋戦争の戦火を逃れ、戦後間もなくは進駐軍専用として6年間営業した時期もあったが、昭和の銀座の華やかな雰囲気を今に伝えている。復興から高度成長、さらには平成の今まで、ビールの大衆化の流れに対応し、銀座のビジネスパーソンののどを潤してきた。
同店は建築家・菅原栄蔵氏の代表作で、アールデコ調のデザイン、天井が高い荘厳な内装は、外国の教会のようとも宮殿のようとも形容される。ホール前方の豊穣と収穫をテーマにした大壁画は圧巻で、ガラス工芸家・大塚喜蔵氏の作だが、材料のガラスも日本人によるモザイク画は初の試みだった。菅原氏は日本の材料を使うことにこだわり、天井は伊豆七島・新島の抗火石、柱や壁に使われているタイルは、愛知県瀬戸市で「山茶窯(つばきがま)」を主宰していた古陶磁研究の第一人者、小森忍氏の作となっている。
銀座のビヤホールライオンは、連日満員御礼の立札が掲げられるほどの繁盛ぶりで、戦前から既に他地域にチェーン化を始めていた。戦後はその動きを加速し、新橋、新宿、札幌、京都、名古屋、福岡などのビジネス街に続々と店舗が開設されていく。
大日本麦酒が戦後、過度経済力集中排除法によって、サッポロビールとアサヒビールに分割され、サッポロビールが「サッポロ」と「ヱビス」のブランドを継承することになっても、ビヤホールライオンは馬越社長が望んだ通り、ビールと洋食の殿堂としての地位を保持し続けていると言えるだろう。
関連記事
- ココイチが急速に“マンガ喫茶化”しているワケ
カレー専門店の圧倒的シェアを誇り、独走を続けるCoCo壱番屋(ココイチ)。近年、そんなココイチが急速に“マンガ喫茶化”しているのをご存じだろうか……。 - なぜいま松屋フーズは“とんかつ”に力を入れるのか
松屋フーズの低価格とんかつ業態「松のや」の出店が加速している――。牛めし業態「松屋」に続く第2の柱として、同社はいま“とんかつ”に力をいれているようだ。その理由とは? - オリジンでちょい飲み なぜ「オリジン弁当」をやめるのか
長年親しまれてきた「オリジン弁当」は、リブランディングによって、装いも新たに「キッチンオリジン」へ、看板もメニューも再構築されつつある。その理由とは? - 地方のフードコートでも行列 「いきなり!ステーキ」の快進撃が止まらないワケ
高級ステーキを安価で提供する「いきなり!ステーキ」は破竹のような勢いで快進撃を続けている。実は最近、ショッピングモールのフードコードでも絶好調らしい……。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.