ハンドルの自動化について考え直そう:池田直渡「週刊モータージャーナル」(3/4 ページ)
クルマの自動運転はまだ実現できないが、運転支援システムを組み込むことによって、人のエラーを減らそうとしているのが現状である。そこで今回はハンドルの自動化について指摘したい。
それがうまく機能しているかどうかは、ユーザーの使い方で分かる。ネットで自動ハンドル機能の備わったクルマを購入した人のブログを見掛けると、ほとんどの人が「何分に1度ハンドルをちょっと切れば大丈夫」というようなことを悪びれず書いている。つまり主体的に運転しているようにクルマをだます方法で運転していることになる。
これを「危険だ」とそしることは簡単だが、自分で実際に自動ハンドルを経験してみるとその気持ちがよく分かる。多くの自動ハンドルでは、ドライバーがただハンドルに手を添えているだけでは主体的に運転していると見なさない。自動ハンドルの舵角に対してドライバーが逆らう操作を行って初めて主体的操作が行われていると判別するのだ。
これには3つの問題がある。まず、自動ハンドルの制御がよくできていればいるほど、クルマの進路安定には必要ない操作を自動ハンドルの支援継続のためにわざわざ行わなくてはならないこと。それはわざわざ進路を乱す操作にほかならない。次に自動ハンドルは電動パワステのモーター制御でハンドルを動かしているので、路面から受ける自然な反力以外の力が加わって運転感が極めて不自然なこと。最後にモーターに逆らわなくてはならない結果、それなりに筋力が必要なことだ。
仮に教習所で、助手席から教官が手を伸ばしてハンドル操作の補助をしてくれているとして、ドライバーはわざわざそれに逆らうだろうか? そんなことはしない。だから普通のメンタリティの持ち主なら、そこで無駄な抵抗をすることなく、パワステモーターの制御に従ってハンドルを持つ手の力を抜く。それが生理的に自然なのだ。不自然な操作を継続しろと言って片付けようとするのは、単なる「根性論」で、人の生理に反している。
だからクルマの側がモーターの力に逆らう操作を判別基準にしている限り、ドライバーは不自然な気持ち悪さというストレスを継続的に感じ続けるのである。それを避けようと思えば、クルマに警告されるまで操作を脱力し、必要なタイミングでクルマをだます操作を行うことが理に適ってしまうのだ。多くのユーザーがそうしているのは、それが快適なやり方だからだ。
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