ポップコーン会社の再建を 野球界から転身した男の奮闘:託された経営改革(2/4 ページ)
東北楽天ゴールデンイーグルスのチーム戦略担当、そして球団経営を担う一員としてどっぷりと野球界に身を置いていた男が異業種に飛び込んだ。現在、ポップコーン会社の経営再建に奮起する彼を追った。
イーグルスで経営の本質を学ぶ
上田さんは1984年に横浜で生まれた。物心ついたときから野球が大好きで、根っからの野球少年として育つ。高校は神奈川県内有数の進学校である浅野高校に入学。3年間、硬式野球部で白球を追いかけた。ポジションはキャッチャーで、最後は主将を務めた。
大学は東北大学理学部へ。時を同じくして、大学のある仙台に東北楽天ゴールデンイーグルスが設立したのである。上田さんはすぐに球場のアルバイトへ応募し、初年度からグラウンド整備としてイーグルスにかかわることになったのだ。後にまたこのチームに戻ってきて戦略担当として働くなどとは、思ってもみなかったのではないだろうか。
大学卒業後、三井住友銀行に入社し、本部や法人営業部門で主に顧客のグローバルビジネスを支援した。その後、アクセンチュアに転職し、経営コンサルタントとして活躍。そこでの実績を武器に2012年、「野球に携わる仕事をしよう」とイーグルスの運営会社である楽天野球団に舞い戻ったのである。
イーグルスでは、立花陽三社長の下、チームマネジメントに従事した。12年11月に発足したチーム戦略室に属していたことや、他球団に先駆けて投手のボール回転数などを測定するシステム「トラックマン」を導入したことなどで、外部から当時の上田さんの専門業務は「データ戦略」だと見られていたそうだが、上田さんによると、実はそれは1割程度で、9割が球団経営全般にかかわる仕事だった。「選手との契約交渉から始まり、財務管理、各部門間の情報連携をスムーズにする仕組み作りとそのシステム化、スカウト会議や編成会議の主催など、球団のあらゆる業務を担当していました」と振り返る。
この経営マネジメントの実地経験が大きな糧になった。銀行やコンサル会社では、どちらかと言えば論理先行で、頭でっかちになってしまうという懸念があった。「いくら経営的にこれが正しいと言っても、現場がふに落ちなければ意味がありません。イーグルスのおかげで、経営の現場経験を積み、経営の回し方をつかむことができました」と力を込める。
もう1つ習得したのがコミュニケーションスキルだ。スポーツの世界はコミュニケーションが重要だとよく言われるが、まさにその通りだったと上田さんは痛感した。例えば、イーグルスでは引退した選手が球団スタッフとして再雇用されるケースが少なくないが、ずっと野球の世界で生きてきた元選手は、上田さん自身を含め、世のビジネスマンたちが持つ価値観とまったく違うのだという。
「自分の考えが伝わらないことが多々ありました。そこでまずは相手が何を考えているのかを知り、そこから行動するのが大切だと学んだのです。聞く力はかなり磨かれましたし、それが今でも役に立っています」
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