宮崎のエノキ農家の大ばくちが居酒屋の人気商品を生んだ:塚田農場「月見ステーキ」秘話(2/4 ページ)
塚田農場で月に1万食以上を売り上げる期間限定商品「加藤えのき 月見ステーキ」。この商品の陰には、エノキ農家として生き残るために一大勝負に出た加藤えのきのヒストリーがあったのだ。
生産量が10倍に
そこで加藤社長のとった戦略が、単位面積あたりの収量を増やすこと。これは農業で売り上げを伸ばすためには当たり前の施策と言えるが、エノキ栽培でこれを実現するには多額な投資が不可欠だったのだ。どういうことか。
エノキは筒型のプラスチック容器で栽培し、例えば、1つの容器から300グラム収穫できるのか、500グラム収穫できるのかで売り上げは大きく変わってくる。容器のサイズを大きくすればその分、収量が増えるというのはその通りなのだが、これが一筋縄ではいかないのだ。
最大のハードルは、従来の容器のサイズなどの規格を変えるため、工場の生産システムや貯蔵冷蔵庫など、あらゆる設備を新しくしなければならないことだった。エノキ工場において設備投資の規模は売り上げの4倍が目安だと言われており、とても多くの農家では真似できるものではなかった。
事実、十数年経った今も、加藤えのきのように大きな容器の規格でエノキを栽培しているところはほぼないという。全国にエノキ農家は約600あるが、7割以上が家族経営の小さな農家だという事情もある。
「容器を大きくすれば収量が上がるという理屈は分かるけれども、それをやるには容器内のエノキを均等に育てるなど技術的な難しさがあるし、何より製造設備を一から作り変えるにはお金がものすごくかかります。けれども、僕らはそれをやることに決めました。他社ができないからこそチャレンジする必要があったのです」
実際には大ばくちだった。この新しい規格に対応した設備を作り上げることができれば、しばらく会社は安泰だろう。逆にこれができなければ会社はもう駄目だと腹をくくった。「同じことをやって、他人の後ろをずっとついていっても差は埋まらない。何か違うことをやって形にしないと」――加藤社長のこうした危機感が行動に表れたのだ。
大規模な先行投資が功を奏し、生産量は急増。利益が出た部分を次の投資に回すことができるようになり、当時1棟だった製造工場は4棟に、年間生産量は10倍にまでなった。今期は売上高10億円を見込む。
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