愛媛の小さな町に野外レストランは何をもたらすか?:古き街並み残る内子町(2/4 ページ)
愛媛には古き良き街並みが残る小さな町がある。松山市内から南に40キロほど行った場所にある内子町だ。ここで2晩だけのイベントが開かれた。“幻の野外レストラン”と呼ばれるDINING OUTである。
イベント史上で最少規模の町
DINING OUTについて、詳しくは以前の記事を参照してもらいたいが、この内子町で開催された「DINING OUT UCHIKO with LEXUS」では新たな取り組みがなされた。それはDINING OUTで出したメニューを商品化して町で販売するというものだ。
今回のシェフである「La Cime(ラ・シーム)」(大阪市)の高田裕介氏が現地スタッフと共同で作った「銀寄栗のエクレア」は、11月中旬から12月25日まで地元の道の駅などで売られている。これまでもDINING OUTのメニューレシピについては、地域貢献のためにすべてオープンにして地元に残していた。ONESTORYの大類知樹総合プロデューサーは「内子町に対してより大きな価値を提供したい」と商品化の目的を語る。
そもそも内子町がDINING OUTの場所に選ばれた理由は何だろうか。大類氏によると、これまでの開催地の中で最も人口が少ない町にもかかわらず、議会を通して予算が承認され、立候補してきた熱意だという。
「こんな小さな町がDINING OUTを誘致するのは、財政的にも“命がけ”です。しかも町のメインストリートを封鎖してイベントを開くわけですから、地元の注目度もこれまでと格段に違うし、僕らからすれば責任は大きいです。そこまでして手を挙げてくれたことに対して応えたいと思いました」(大類氏)
そこで地元にさまざまなノウハウがもっと残るように、今までとプロジェクトの進め方を変えた。DINING OUTは基本的にかかわるスタッフが地元の人たちで構成されるのが特徴である。今回はその上で新たにイベントの製作委員会を組織して、宿泊チーム、食材チーム、調理チームといった具合に7〜8個のグループを設けた。そしてそれぞれのリーダーが会議で集まり、情報を共有し、各グループがより責任を持って作業する形にしたのだ。
これによって各自の役割が明確になり、機動的にプロジェクトを動かすことができるし、何よりもリーダーたちはDINING OUTで学んだことを内子町にどう還元していくのかをより主体的に考えるきっかけになった。
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