トヨタがレースカーにナンバーを付けて売る理由:池田直渡「週刊モータージャーナル」(2/5 ページ)
東京オートサロンのプレスカンファレンスで、トヨタはとんでもないクルマを披露した。「GRスーパースポーツコンセプト」。FIA世界耐久選手権(WEC)に出場したTS050 HYBRIDをわずかにアレンジしたもので、お金さえ払えばほぼ同じものが買えるというのだ。
ナンバー付きレーシングカーの本意
安全で環境に優しい? コネクティッドカー?
世界のトヨタがレーシングカーにナンバーを付けて売る話も、それが安全云々の話も、普通の人にはまあさっぱり分からない話だと思う。さて一体何がどうなっているのだというのが今回のテーマである。
キーワードは2つある。
- スーパースポーツ
- ハイブリッド
まずはスーパースポーツから考えていきたい。スポーツじゃなくてスーパーなのがミソだろう。それはスポーツ、つまりスポーツカーと何がどう違うのか。辞書に定義されるような言葉ではないので、最終的な正解を示すことはできないが、自動車界隈の住人に「何がスーパーか?」と問えば、やはり圧倒的動力性能と言うことになるだろう。
では運動性能の方はどうか? こちらもお粗末ではダメだが、スポーツカーを凌駕することが決定的に求められるかどうかにはどうも幅があるような気がする。
例えば、フェラーリは官能性のクルマであり、官能的な加速感はマストで求められる。動力性能も時代のトップレベルでなければならない。だが運動性能はトップであってはならないのだ。
ここしばらくのフェラーリが何をやっているかと言えば、フロントのトレッドを広げ、逆にタイヤの幅を落としている。トレッドが広がるということは前輪がクルマを曲げる着力点が車両重心から遠く、つまりテコが長くなるのでクルマに自転運動を起こしやすくなる。アジリティが高いと言ったりするが、要するにトレッドを広げれば俊敏にキビキビ動くようになる。
では、高速コーナーの旋回でタイヤの最大グリップを使うようなときはどうかと言えば、ここはもうクルマの自転運動はあまりいらない領域で、むしろ公転運動に伴う遠心力とタイヤグリップをどう高次元で拮抗させるかが重要になる。そこの限界を決めるのは一義的にはタイヤである。もちろんサスペンションも空力も影響するが、やはりタイヤのグリップが最も支配的だ。だからフェラーリはフロントタイヤを細くすることで限界を下げ、破たんに至るときの速度を一定のレベル内に抑制しているのである。
フェラーリが、仮にプロのレーシングドライバーを前提に設計すれば、フロントタイヤの幅は落とさないだろう。つまりフェラーリのようにユーザー層が資産で足切りされたクルマはまずお金持ちじゃなければ買えない。というより、金持ちの象徴として所有したい人が顧客の中にたくさんいるのだ。この人たちが入ってはいけない領域に入らないようにタイヤで調整している。プレミアムビジネスはどうあるべきか? フェラーリはそれを熟知しているのである。
この一例を持ってスーパースポーツとは何ぞやを決めるにはいささか根拠が不足している自覚はあるが、他の例をいろいろ持ち出すとどんどん長くなってしまうので、多少乱暴にえいやっと決めてしまいたい。スーパースポーツとは「凄そうな錯覚、あるいは幻想」を商品化するクルマである。サーキット専用車を公道に持ち出しても「水を得た魚の逆」。最初からロードカーとして仕立てられたスポーツカーにカモられる場面の方が多いだろう。まあ曖昧な話だが、そもそもスーパースポーツに入るクルマと入らないクルマの議論を始めれば紛糾必至なので、まあそこは筆者独自の定義ということでお許し願いたい。
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