センベロの王者 「晩杯屋」急成長のワケ:長浜淳之介のトレンドアンテナ(前編)(3/4 ページ)
わずか10年弱で東京を代表する立ち飲みチェーンに成長した「晩杯屋」。お酒とつまみ3品程度で1000円以下という低価格が支持されているが“センベロの多店舗化”に成功した背景には何があるのだろうか?
入社3日で店長に大抜てき
金子氏は将来的にバーを開業しようと漠然と考えていたこともあり、当時「牛角」で圧倒的に成功していた外食大手のレインズインターナショナルに転職。幹部に見込まれたのか、入社3日目で中野新橋店の店長に大抜てきされた。
ところが、半年でレインズを辞職する。ホスピタリティやマネジメントは学べても、金子氏が経営のポイントだと考える仕入れと流通は学べないと判断したからだ。
そこで、青果や水産の市場で1年〜1年半ずつアルバイトとして働く傍ら、開業資金を貯めるために運送会社で仕分けのアルバイトもして、500万円ほど蓄えたという。
そして、08年にたまたま武蔵小山(東京都品川区)を歩いていたときに見つけた4坪、家賃14万円の物件でバーを開業した。さらには、その店から10メートル先に4坪、家賃9万円の物件が空くのを発見して、立ち飲み居酒屋晩杯屋を開業。1日に10回転するほどの人気店となり、今日の成長につながっている。
ちょい飲みブームで急成長
今は再開発でマンション街に様変わりしつつある武蔵小山駅前だが、08年当時は昭和の雰囲気が漂う小さな居酒屋やスナックが密集する、極めて庶民的な街だった。
折しもリーマンショックと東日本大震災の影響で、日本経済がデフレと不況のどん底に落ちていき、サラリーマンも飲み代を節約せざるを得なくなっていた。こういった背景もあり、総合居酒屋の顧客が立ち飲み店にどんどん流れていた。数人の仲間うちもしくは1人で2〜3杯飲んで、おつまみも合わせて1000円程度のちょい飲みがトレンドとして浮上する。そうした潮流に晩杯屋は乗った。
晩杯屋のパワーの源泉は「売るチカラ」ではなく「買うチカラ」にある。メニューは仕入れありきで、毎日数種類ずつ変える。金子氏が実際に市場で働くことで築いた、その日安いものを仕入れる手腕で、顧客を獲得してきた。
晩杯屋では「いつもなければいけないおつまみ」はないと割り切っており、提供する料理を毎日変えている。
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