プロ野球選手からビジネスマンに “生涯現役”貫く江尻慎太郎さんの人生:常にハイライト(2/4 ページ)
2001年にドラフトで日本ハムファイターズに入団。その後、横浜ベイスターズ、福岡ソフトバンクホークスでプロ野球選手としてのキャリアを過ごした江尻慎太郎さん。現役引退後、彼が選んだ道はビジネスマンだった。江尻さんの仕事観、人生観に迫った。
野球もビジネスも一緒
5年前はここに自分が立つとは想像していなかったビジネスの現場で、目の前の仕事に打ち込み続けるほどに、「野球と一緒だな」と気付くことも多かったという。
「例えば、僕は現役時代にオーバースローから、サイドスローへモデルチェンジを経験しました。それをきっかけに登板機会を増やすことができたんですが、これは当時のピッチングコーチだった小林繋さんから『なぜライバルの多いオーバースローを選び続けるんだ?』という助言を受けてのことでした。競合が多い領域ではなく、ブルーオーシャンを狙えと。市場を把握しろ、というメッセージと取れば、今やっている仕事にも共通すると思います」
一方で、勝ちを引き寄せる確実性は野球とは違う部分かもしれないともいう。「野村克也監督が『勝って不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし』とおっしゃった通り、野球は勝つのは本当に不思議で難しいことですよ」と江尻さんは話す。
「ビジネスは勝てるという意味ではなく、『足し算が足し算のまま』の場合が多いのではないかと。野球の場合は、足し算のつもりが、気付いたら引き算だったり……」
野球とビジネス、2つの武器を持つことは、自分の価値になるという実感は、すべての場面で感じられたという。
「元プロ野球選手で、一般企業に勤めていて、野球解説もする」というパラレルキャリアが、江尻慎太郎という人材の唯一無二の市場価値を生み出していた。
一方で、それが悩みでもあった。
「上司に、『それは副業? バイトね!』と言われた時、私には主と副という概念はありませんと口答えしたことがありました。すると上司が『よし、それなら全てで結果を出しなさい』と言ってくれたことは、今も心に刺さってますね。僕の働き方が周りに迷惑をかけるかもしれない。ただ、それでは本末転倒。そんなパラレルキャリアなんて美しくも何ともないし、そういう後輩が出てきた時にも迷惑をかけかねないですから」
パイオニアとしての活動が周囲にハレーションを生むのではと葛藤しながらも、就職後3年が過ぎたころ、また転機が訪れる。次なる“移籍先”は、球団広報だった。
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