プロ野球選手からビジネスマンに “生涯現役”貫く江尻慎太郎さんの人生:常にハイライト(3/4 ページ)
2001年にドラフトで日本ハムファイターズに入団。その後、横浜ベイスターズ、福岡ソフトバンクホークスでプロ野球選手としてのキャリアを過ごした江尻慎太郎さん。現役引退後、彼が選んだ道はビジネスマンだった。江尻さんの仕事観、人生観に迫った。
福岡では圧倒的人気を誇るホークスを全国区にする、というミッションを与えられ、たった1人、東京のオフィスビルの一室で活動する日々が、今年3月からスタートした。
「環境がガラッと変わることにはあまり抵抗がないんです。それはもともと飽きっぽい性格なのかもしれないですね」
トレードを経験したことも大きかったのではないかと、江尻さんは言う。日本ハムのユニフォームを着て8年目、結果が思うように出ず「戦力外」も頭に散らついていたころのことだ。
「正直、あのころは野球を楽しめていない自分がいました。『自分はこうあるべきなのに』というこだわりが強くて、『あの人からこう言われたから』と人の目もすごく気にしていたように思います。移籍で環境が変わったことは、僕を自由にさせてくれました。まあ、自分で勝手に縛っていたんですけどね……」
投げる球場の風景も、関わる人も総入れ替えとなった新天地・横浜ベイスターズ1軍での初試合。トレード通告の数日後に立ったそのマウンドで、江尻さんは8回1点リードで投げ、見事にチームを勝利に導いた。
「今まで何をつまらないことにこだわっていたんだろう、そんな思いでした。周りの景色を変えることで、初心に返って本心から野球を楽しめた自分に対して、『もう“こうあるべき”は捨てていこう』と言えた気がします」
「阪神タイガースの鳥谷(敬選手)の連続試合スタメン出場が途切れた時、『なんか良かったですよ。出続けるなんて本当は僕にとってどうでもよかったんじゃないかと思えてきました』と言っていたのは衝撃でした。でもそんな一言が、妙に人間ぽくて、鳥谷が輝いて見えたんですよ。変わることを楽しんでいる人のことが、好きなんでしょうね」
ベイスターズで3年、ホークスで2年、ソフトバンクC&Sで3年……。2〜3年おきで環境を変わるくらいが、意外とストレスなくいけるのかもしれない。場所を変えることで、自然と学ばなければならない環境になるわけだし、新鮮な気持ちに立ち返ることができる。きっとこれからもそうだろうと江尻さんは感じている。
「妻には、いい加減安定してほしいと言われています(笑)。でも、経済的安定と、働き方が固定するという安定は別物ではないでしょうか? 経済的安定を得るには、常に成長できる経験を求めてチャレンジを続けないといけないはず。そういう意味で、安定したいとは思わないですね。めんどくさいスタンスですけど」
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