地方が生き残るためには? 四万十ドラマ社長が語る地域おこし成否の鍵:田舎の価値(1/4 ページ)
「日本最後の清流」と言われる四万十川。この流域に、地域おこしで有名な会社がある。「四万十川に負担をかけないものづくり」をコンセプトに掲げ、地域に根ざした事業展開をしている四万十ドラマだ。
「日本最後の清流」と言われる四万十川。高知県の西部を流れるこの川には、国内観光客はもとより、近年は海外からの観光客も多く訪れている。
そんな四万十川の流域に、地域おこしの世界で名の知られた会社がある。四万十ドラマだ。同社は「四万十川に負担をかけないものづくり」をコンセプトに掲げ、地域に根ざした事業展開をしている。例えば、地元の名産である栗やお茶を使った商品を開発するほか、2007年から10年間、「道の駅 四万十とおわ」を運営管理して地域の魅力をアピール。来客数は累計150万人を超えた。
こうした取り組みをけん引する中心人物が、四万十ドラマ社長の畦地履正さんである。現在、畦地さんは四万十ドラマでのビジネスに加え、経済産業省からの受託事業である地域活性化のノウハウ移転のために全国を飛び回ったり、各地で同じように地域の魅力づくりに取り組む人たちとの交流コミュニティーを運営したりと、地方経済の成長に向けて精力的に活動している。
かつてはシイタケの生産で栄えた十和
畦地さんは十和村(06年に町村合併して、現在は四万十町に)出身で、1987年に地元の農協に入社した。かつて十和はシイタケの生産が盛んで、2度も年間生産量で全国トップになったという。しかし、中国産の安いシイタケが市場に出回るなどして単価が下がり、次第に十和での生産力も衰えていった。
それでもまだまだ十和は農作物が豊かな地域であり、畦地さんが農協に入ったころは四万十栗の収穫量が高かった。畦地さんが忘れられない光景があるという。
「入社初日にいきなりやった仕事が栗の集荷、選別です。当時は毎日3〜5トンの栗が届くので、それを麻袋に入れて、缶詰用の栗として出荷していました。40〜50代くらいの先輩職員たちが30キロ以上の麻袋を軽々と持ち上げて、次々と運んでいく。その光景に驚きましたし、とても活気がありました」
一方、農協職員として働く上で課題もあった。それは末端の消費者の顔が見えないことだ。「私たちが扱っていた農作物は、基本的に市場に流通します。市場に流さないケースでもせいぜい加工会社までなので、消費者のニーズなどは知らないに等しかったのです」と畦地さんは振り返る。
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