地方が生き残るためには? 四万十ドラマ社長が語る地域おこし成否の鍵:田舎の価値(2/4 ページ)
「日本最後の清流」と言われる四万十川。この流域に、地域おこしで有名な会社がある。「四万十川に負担をかけないものづくり」をコンセプトに掲げ、地域に根ざした事業展開をしている四万十ドラマだ。
そんなある日、村主催の若者塾でセミナーが開かれた。前方に講師用のステージがあり、それに向かって何列も並べられた机に受講者が座るといったスクール形式で行われた。いざセミナーが始まるというタイミングで、大柄な人物が不意に手を挙げてこう叫んだ。「なぜ丸くなって議論せんのじゃ!」。それがデザイナーの梅原真さんだった。梅原さんは高知に拠点を置き、「一次産業×デザイン」というテーマで地域の新たな価値を引き出す活動をしている。既にそのころにも「土佐一本釣り・藁焼きたたき」の商品デザインで、カツオの一本釣り漁業を年商20億円の産業に育てたり、「ぽん酢しょうゆ ゆずの村」という馬路村の新たな名産品を開発して年間400万本を売り上げたりしていた。
梅原さんにひかれた畦地さんだったが、「十和のような田舎には何もない」と漏らすと、梅原さんは机を叩きながら土佐弁で怒鳴った。「四万十川が流れていて、そこでアユが取れたり、お茶を手積みしていたりと、良い物がたくさんあるのにお前は何を言ってるんだ」と。
そこで消費者の興味・関心を知ろうと、梅原さんの協力を得て、四万十川のほとりで新茶を楽しむ会を開催した。来た人にお茶を飲んでもらうイベントで、ようかんを付けて100円で販売した。すると1日で約15万円売り上げた。翌年は2日間で約100万円に達した。それまで価値がないと思っていたものを消費者が次々と買い求める姿を見て、畦地さんは目からうろこが落ちた。
もっと地元の価値を消費者に広く伝えられる仕事がしたい――。そう考えるようになった畦地さんは農協を辞めることを決断。ちょうどそのタイミングで設立されたのが四万十ドラマだった。
もともと四万十ドラマは、十和村、大正町、西土佐村が出資する第三セクターとして、1994年に事業スタート。ぜひやりたいと手を挙げた畦地さんが立ち上げのスタッフとして採用されたのだった。
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