ドンキの圧縮陳列とPOP洪水を生み出した「泥棒市場」:ドンキの源流を探る(2/3 ページ)
「権限移譲」「圧縮陳列」「POP洪水」「迷路」――ドンキの強さを表すキーワードはいくつかあるが、これらはどのようにして誕生したのだろうか。創業者である安田隆夫氏の自伝からドンキの“源流”を読み解いていく。
ドンキの原型となった「泥棒市場」
この圧縮陳列とPOP洪水の原型は、安田氏が1978年に創業した「泥棒市場」にある。『安売り王一代』によると、安田氏は傷モノや廃番品といった“訳あり商品”を仕入れて販売していたが、その量が多すぎて店舗に収まりきらなかったという。そこで、苦肉の策として商品を棚に詰め込み、棚の上には段ボールを天井に届くまで積み上げた。そして、段ボールの中に入っている商品を説明するためにPOPを貼りまくったという。POPの内容は「もしかしたら書けないかもしれないボールペン1本10円!」といったように、遊び心にあふれるものだった。商品は通路にもはみ出し、店内は迷路のようだったという。
結果としてこの取り組みが、お客が「掘り出し物がないかな?」と店舗内をじっくりと見て回る買い物の楽しさをお客に提供することになる。
こうしてみると、圧縮陳列もPOP洪水も、“行き当たりばったり”の中で生まれたものだと理解できる。カリスマ的な創業者の自伝を読むと、安田氏のケースのように、革新的な手法を偶然生み出すことは珍しくない。
ナイトマーケットの発見
ドンキの発展を支えたのは「ナイトマーケット」のお客だ。一般的には、夕方から真夜中にかけて営業する屋台や露店のことを指すのだが、ドンキは深夜まで営業することで仕事帰りのビジネスパーソンや夜遊びをする若者などを引き寄せた。ナイトマーケットのお客は、“しらふ”の状態で買い物をする日中のお客とは違い、アルコールが入っていたり、夜遊びをしていることで得られる独特の高揚感を抱いたりしている。そのお客に向けた独自の品ぞろえをすることで、新しい需要を掘り起こしてきたのだ。
安田氏は大学卒業後、雀荘に通って日々の収入を得ていた時期がある。徹夜マージャンを終えて帰宅し、夕方に起きるような生活を繰り返すなかで、深夜の繁華街をあてどなくさ迷っていた。その時の体験がナイトマーケットの発見につながったと、安田氏は述懐している。
『安売り王一代』によると、安田氏が泥棒市場の閉店後、夜遅くまで1人で商品の陳列や値付けをしていると、お客から「まだお店はやっているのか」と声をかけられることがよくあった。そういう客に限って、泥棒市場の商品を面白がって買ってくれたという。やがて、泥棒市場は午前0時まで営業するようになった。当時、セブン‐イレブンは午後11時まで営業していた。
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