小さな段ボール工場が変えた避難所の光景:社長の思い(4/6 ページ)
大阪府八尾市の一角にある小さな町工場のJパックス株式会社。作っているのは、段ボールだ。この会社が被災地の避難所の光景を変えようとしている。
避難所のプライバシー
災害時に設置される避難所で、毎度議論になるのが「プライバシー保護」をどこまで徹底するのかという線引きだ。長い共同生活の中でプライバシーが守られないことは、冒頭で述べた「我慢の生活」に陥る最大の要因の1つとも言える。実際、着替えひとつ自由にさせない“他人の目”から逃れるべく、高いパーテーションや四方を囲むカーテンを、独自に設置しようとする避難所生活者も少なくない。
これに対し、水谷氏は「避難所において、プライバシーの完全な保護はするべきではない」と考える。
「カーテンなどで視界を完全に遮ってしまうと、用心ができなくなるんです。体調不良者や不審者の発見が遅くなったりする。日本の避難所には、海外のように軍人や警察は常駐していないですしね。また、夏場の避難所で遮断性の強いパーテーションを導入すると、熱が籠ったり、冷房が行き届かなかったりするなどの問題も生じ、体調不良者を増やしてしまう原因にもなる。そもそもプライバシーは、視覚だけに限ったものではないため、避難所では、パーテーションやカーテンなどでは完全には守られません。就寝中、寝返りを打った隣のおじさんの腕がカーテンを越えていきなり入って来たり、隣人のいびきやオナラだって聞こえたりします。難しい問題なので、考え方にはいろいろありますが、個人的には、避難生活においてもプライバシーと公共性のバランスは、“半分オープン”がちょうどいいと思っています」
だからこそ、プライバシーを完全に保護し、一人落ち着けるスペースにしないといけない場所があると、水谷氏は続ける。
「トイレです。避難所では唯一と言っていいほど完全なプライベートが保てる場所。が、日本の避難所の仮設トイレは、年寄りや子どもには負担の大きい和式が主流で、しゃがんだらいきなり顔の前に壁が来る。その狭い空間には、電気もなければ、手を洗う場所もない。一人になれる唯一の場所がこういう状態では、人間の尊厳すら守られなくなってくる」
今まで設置されてきた国内の避難所では、トイレに立つ回数を減らそうと水分や食事を控えた被災者が、体調を崩すケースも数多く報告されている。人道支援の現場における国際的な指標となっている「スフィア基準」には、女性用トイレ数は男性トイレの最低3倍必要だとされている。しかし、日本の避難所には、トイレが男女で分かれていないところも依然として多い。
避難所・避難生活学会の活動の一環として、イタリア地震の被災地を視察に訪れた水谷氏は、現地の避難所のトイレに、シャワーが付いていたことに驚いたという。
「イタリアは日本と同じく地震大国。が、避難所設備に対するクオリティには雲泥の差がありました。文化的な違いもあるし、その作りに違いはあっていいと思いますが、やはりトイレはホッとできる場所であるべきだと改めて感じましたね。日本の避難所の場合、シャワーは付いていなくとも、駅やショッピングセンターなどにあるような『多目的トイレ』が、数十個あるのが理想でしょう」
そのイタリアの被災地視察で痛感したのが、避難所には、こうしたベッドやトイレのほかに、もう1つ大事な空間があったことだ。それが「食堂」だ。
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