インタビュー
小さな段ボール工場が変えた避難所の光景:社長の思い(6/6 ページ)
大阪府八尾市の一角にある小さな町工場のJパックス株式会社。作っているのは、段ボールだ。この会社が被災地の避難所の光景を変えようとしている。
被災地へ向かわせるもう1つの思い
電話口で聞く水谷氏の避難所生活者への思いに、こちらも終始胸が熱くなる。彼を現場へ突き動かすのは、実はこのほかにもう1つ、ある目標があったのだ。
「段ボール業界の地位向上です。業界従事者に、自分たちの仕事に誇りを持ってもらいたいというのも、活動の大きな原動力になっています」
新たなものを生み出す機会のない業界全体のほこり臭いイメージに、水谷氏自身も会社を引き継いだ当初は面白みを感じていなかったという。
「段ボールの製造というと、とかく地味な業界と思われます。リサイクルにリサイクルを繰り返し、主役はいつも『中身』。包装に使われる段ボールは、一生主役になれない万年脇役の身ですから。でも、そんな段ボール1つでも、被災者の笑顔につながること、小さな町工場でも社会貢献ができることを、業界全体で共有したい。こうした思いから、ベッドの設計図は、善意ある同業者にも無償で提供しています」
JパックスのWebサイトに掲げられた企業理念の一節には、こうある。「最大限の成果を出して皆で分けあう会社にする」。1時間の電話取材をひと言で表したその力強い言葉に、社会貢献の名の下においては、大きい会社も小さい会社もないことをつくづく感じさせられた。
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