地方の有力スーパーが手を組んだ“1兆円同盟”誕生、イオンとどう戦う?:小売・流通アナリストの視点(3/5 ページ)
2018年末、食品スーパー業界では久々の大型再編となる「新日本スーパーマーケット同盟」の結成が発表された。地方の有力スーパーが手を結び、売り上げの単純合計で1兆円を超えたのだ。
丸久の生き残り戦略
表は丸久の1990年からリテールパートナーズ結成前の2014年度までの業績の推移を示したものだ。1992年度に赤字転落以降、1999年まで連続的に減収が続いていた様子が分かる。この時の丸久は、バブル期にありがちな多角化の失敗による不採算事業や総合スーパー事業の不振などに苦しみ、まさに経営破たん寸前の状況にあった。
バブル崩壊後の消費低迷、金融引締めによって、90年代には多くの小売企業が業績不振に陥って、その後、破たんしていったが、丸久はこの危機を乗り越えた。90年代のうちに、次々と不採算事業から撤退し、食品スーパーに特化したことで、安定的な収益が確保できるようになった。
このスピードが結果的には丸久を救う。1997年の北海道拓殖銀行、山一證券など大手金融機関の破たんに端を発した金融危機によって、2000年以降、大手小売を含む流通業界では、経営破たんに追い込まれる企業が続出した。長崎屋、そごう、マイカルは法的整理へ、西友、ダイエーも自主再建を断念する事態となり、流通業界にとって21世紀の到来は激動の時代となった。地方の有力企業でも破たんする企業は相次ぎ、特に丸久の近隣マーケットである九州では寿屋、ニコニコ堂といった地域大手が法的整理を余儀なくされた。丸久は、迅速な不採算事業整理と、食品スーパーへの集中によって、辛くも逃げ切ったのである。
丸久はこうした厳しい状況の中で、いわゆるリストラによって、ただ生き延びただけではなかった。リストラと並行して、事業を集中した食品スーパーにおいて競争力の高い戦略店舗を開発し、着実に旧式店舗から転換を進めたのだ。
当時、鮮度管理に最も優れた関西スーパーマーケット(兵庫県)に師事し、生鮮品管理のノウハウを強化した上で、1500〜2000平方メートルという食品専門のスーパーとしては大型の店舗を開発した。実は、2000年代以降に大きく成長した各地の勝ち組食品スーパーは、ほとんどがこうした「生鮮強化型大型店舗」を採用した企業である。ただ、金融危機の時代、経営再建に追われていた時期に、こうした次世代を見据えた店舗開発ができたスーパーは、恐らくほかにはないはずだ。
2000年代初頭には、こうした次世代型店舗を展開するライバルは山口県には存在していなかったため、丸久は急速に県内のシェアを拡大し、その収益率は全国的にもトップクラスにまで上り詰めることになった。
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