「鮨屋はもう斜陽」――四代目はなぜ、ジリ貧の店を継ぐと決めたのか:落ち目の鮨屋を世界に名だたる名店に変えた男(5/5 ページ)
鮨屋としての事業環境が厳しくなっていく中、次男には、明治から続く老舗という看板を背負う義務はない。大学に進学して普通のサラリーマンになってほしい――。そんな父の願いを知りながらも、なぜ四代目は「店を継ぐ」と決意したのか。
“モノ作り”と“この世の歩き方”が結実? 進むべき道は
勝はこの頃から、自分は“何かを生み出すこと”、“まったく新しいものを創作すること”が何よりも好きなのだ、と自覚していた。ちょっとした日曜大工、工作をするだけでも楽しくて仕方がない。もちろん、鮨職人の息子として料理にも興味があった。料理の面で、あこがれていた父の手助けとなれるのなら、それは何よりもうれしいことだ。いや、しかし自分は、機械いじりにも、時間を忘れて没頭することができる……。
ジャンルはまったく問わない。その仕組みを知り、見極めた上で、自分で再構築してみる。そこにちょっとした自分の工夫を加えてみると、また違った結果が得られる。もちろん、成功よりも失敗の方が多い。しかし、何らかのアレンジを加えることにより、自分のアイデアや感覚次第で、結果がどんどん変化していく様子を見るのをたまらなく面白く感じていた。
竹とんぼ一つ、紙飛行機一つとってみても、その構造を工夫するだけで、飛び方が大きく変わる。料理ならなおさらのことだが、勝が当時もっとも“ハマっていた”のは“自動車”だった。
ポンコツ同然のバイクや自動車を安くもらい受け、自分で修理するだけでは飽き足らない。エンジンを丸ごと載せ替えたり、足回りを整備したりして乗り回す。学部こそ経済学部だったが、少しずつ「自分は、自動車の仕事をしたいのではないか」と、将来のビジョン、そのフォーカスが定まりつつあった。
勝は、アルバイトで、関西を出自とする料理店で早朝から「追い回し」(洗い場の掃除と米とぎ、飯炊き、その他雑用の担当)として働きながら、父が学びたくてもできなかった、日本料理の現場に触れつつ、昼夜の空いた時間には、ガソリンスタンドで働き、自動車整備を学んでいた。
それに加え、夜間学校での授業を終えたあとの深夜からは、パブでバーテンダーとして働き、世間の風にも触れるようになる。パブに入店するのは夜22時〜23時で、夜間学校の授業がない日には17時入りで働いていたという。
もっと世間を知りたいと、学業にも力を入れ、必要な単位を先回りで取得してしまうと、さらに多くの仕事へと手を広げ、経験値を高めることにしたのだ。
勝は「こうして、バーテンダーとして夜学を学んだのは正解だった」と今も感じている。
自分ができること、できないこと。やるべきこと。そしてこの世の歩き方を学ぶことができたからだ。
こうして、幅広い業界で、幅広い立場の人たちと触れることにより、視野が広がり、客観的に自分と自分の周囲を捉えられるように自然となっていった。
その間、実家の家業が上向くことはなかった。
黙々と功が鮨を握る中、繁枝と創は店がうまくいかない責任を、自分たちの外部になすりつけ、決して自分たちを変えようとはしなかった。
本当に兄貴は蒲田 初音鮨を途中で投げ出さないのか? 長くは続かないのではないか? うちの店はこの後もこのまま凋落を続けるのではないか?……心の中に不安を抱えながらも、勝は流れに身を任せ、そして自分が大好きだった東洋工業への就職を望み、そしてそれがかなうというところまでやってくる。
バブル前夜の人材獲得合戦のさなかのことである。人事部は内定者を逃がしたくなくて、学生への接待合戦をくり広げていた。浮かれた世相の中で、就職は売り手市場だった。そんな中、勝もまた、就職が決まっていた東洋工業の人事部から、内定者向けの宴席へと招待された。
大好きな自動車の仕事ができる。しかも、あのあこがれのロータリーエンジンを作る東洋工業――しかし、勝は最後の最後になって、内定者が集まるパーティーには出席しなかった。
放っておけば、蒲田 初音鮨は、いつかは泡沫(ほうまつ)のように消えてなくなるだろう。しかし、自分にとっては何より大切な蒲田 初音鮨、そして尊敬する父。直接、初音を継がなかったとしても、自分が料理人としてうまくやっていれば、きっと何かの役には立てるかもしれない――あるいは創が辞める、継ぎたくないと言い出した時、自分なら“バックアップ”役になれるのではないか。
翌週の東洋工業の宴席に参加し、会社の幹部とあいさつをして、同期になるだろう仲間たちと通じ合う――そんな場に出席してしまったら、もうその先「やっぱり就職できません」とは、とてもではないが、言い出せない。お世話になった就職部の先生の顔をつぶすことにもなりかねない。今、この時こそ、進路を決める時なのではないか。
電話機の前で何分考え込んだことか。逡巡すること何度目か。しかし、ついに勝は受話器を取り、東洋工業の人事部・採用担当部長につながる電話番号を回した。
「ロータリーエンジンの開発に携わりたい。自動車の仕事をしたい。モノ作りに関わりたい」――そうした思いを捨てたわけではなかった。
しかし、“料理だって、モノ作り”である。
勝の心をもっとも落ち着かせる選択肢は何だろうか――そう考え抜いた時、当時の彼は、それが料理人への道であると結論を出したのである。
本田雅一プロフィール
テクノロジージャーナリスト、オーディオ&ビジュアル評論家、商品企画・開発コンサルタント。
技術を起点に経済的、社会的に変化していく様子に着目し、書籍、トレンドレポート、評論、コラムなどを執筆。
90年代初頭よりPC、IT、ネットワークサービスの技術、製品トレンドを追いかけ始めるが、現在、その取材対象はカメラ、オーディオ、映像 機器、映像制作、自動車、SNSなど幅広い分野に拡がり、さまざまなメディアにコラムを提供する。
オーディオ&ビジュアル専門誌ではAV評論家としても活躍。商品企画や開発アドバイザーとしても多くの製品に関わっている。
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