明治や江崎グリコも手を出したハンバーガービジネス ロッテリアだけが飛躍した理由:長浜淳之介のトレンドアンテナ(4/5 ページ)
明治や江崎グリコといった名だたる菓子・乳業メーカーがこぞってハンバーガービジネスに参入していた。しかし、現在も大きく繁栄しているのはロッテリアだけだ。どこで差がついたのだろうか。
グリコのハンバーガーショップはどうなったのか
グリコが生んだ「グリコア」は1973年から93年まで、20年間存在したブランドだ。アメリカン・スナック・レストランを標榜し、ハンバーガー、ピザ、フライドチキン、アイスクリーム、シェイクなどを販売していた。
運営していたのは子会社のグリコアで、90年からはグリコフードサービスに移管された。全盛時には201店を展開していた。もともとは、アイスクリーム専門店として構想されており、ファストフード用のアイスクリームを委託生産することになったのを機に、自社でもお店をやってみようということになったそうだ。
75年からハンバーガー、80年からフライドチキンをメニューに加えた。他のファストフードチェーンと比べても、商品の幅が広いのが魅力だった。顧客層に合わせて商品構成を変える柔軟性があり、焼きそばやたい焼きまで売っていた店もあった。アイスクリームのバリエーションも16種類と豊富だった。1つの店で和洋多彩な商品に対応する、屋台の集合体のようなショップだったようだ。
出店は、郊外のショッピングセンターが中心で、東京都心では新宿のサブナードに店舗があった。
雪印のハンバーガーショップはどうなったのか
雪印の「スノーピア」も1973年頃から店舗が展開されている。雪印スノーピアという会社がフランチャイズ本部になっていた。
母体である雪印乳業も今はもう存在していないので詳細を追うのは非常に困難だが、80年代前半には東京・高田馬場駅前の商業ビル「ビッグボックス」などに出店していた。ハンバーガーと雪印のアイスクリームを対面販売する複合型ショップで、マクドナルドとサーティワンアイスクリームを足したような店づくりにして、最強のファストフード店を目指したらしい。1000店の出店を目標としていたが、オペレーションの複雑さもあってか、はたまたグリコアとバッティングしたためか、あまり広がらなかった。
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