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「人材サービス」に潜む危うさと罪 今後も社会に必要な存在であるために求められるものとは連載・「人材サービス」が滅ぶ日は来るのか?(4/5 ページ)

2019年、就活サイトの内定辞退率問題で注目を集めた「人材サービス」だが、今その公益性が問われている。しかしながら、ひとくちに「人材サービス」といっても、その実態はなかなか分かりづらいのが現状だ。今回は、連載の最終回。「人材サービスの公益的発展を考える会」を主催し、「人材サービス」に詳しい川上敬太郎氏が「人材サービス」が今後も生き残るためのカギを解説する。

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問題は「悪用する者」の存在

 自動車が存在しなければこれらの悲しみが生まれることはなかったと考えれば、自動車の存在意義そのものを否定したい気持ちになります。しかし、これを「自動車に罪がある」としてしまうと違和感があります。多くの場合、事故は自動車を運転する人の過失によって引き起こされます。もし自動車自体に欠陥があったとしても、自動車に罪があるというよりは、欠陥車を作った人や企業の方に罪があるはずです。


憎むべきは「道具」よりも「悪用する者」(出所:ゲッティイメージズ)

 同じことは、ライターやかなづち、包丁など、扱い方を誤ると危険な道具全てに当てはまります。罪は道具を扱う側にあるのであって、道具そのものにあるのではありません。

 「人材サービス」も同様に、罪は「人材サービス」を悪用する人や企業にあるのであって、「人材サービス」そのものにあるのではないはずです。これまでにも「人材サービス」を巡って、さまざまな事件が引き起こされてきました。それらの罪は本来、「人材サービス」そのものにではなく、「人材サービス」を誤って用いた者にあるはずです。

 にもかかわらず、いびつな規制によって「人材サービス」そのものが不便な存在になってしまっているとしたら、それは、「人材サービス」を“悪用する者”が負うべき罪を、「人材サービス」そのものに押し付けてしまっている、ということではないでしょうか。

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