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“まるっと”しすぎ「デジタル庁」に期待できない理由、それでも期待したい理由本田雅一の時事想々(3/4 ページ)

「デジタル庁を可能な限り早期に設置する」と自民党総裁選の頃から掲げていた菅義偉首相。果たしてデジタル庁という切り口がどういうものなのか。あまりにも“まるっと”しすぎているようには感じられるが、実効性を持つのかどうか。

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 それは意思決定のプロセスや評価など人事面に問題があるのではないか、などと勘繰ってしまう。

 デジタル庁に期待されるのは、行政機関ごとの事情やシステムの状況、仕事の進め方などの制約をいったんは取り払い、より高い視点からの意思決定で改革を進めることだろう。

 菅首相がそこまで考えているかどうかは分からないが、ことITシステムに関していえば、相当に高い自由度、権限、発言力を持たせなければ意味がないだろう。しかし高い自由度、権限、発言力をもって取り組んだ結果、何らかの不具合や目詰まりがあれば(当然、短中期的には問題も出てくるはずだ)、たちまち批判にさらされるに違いない。そんなリスクを承知してまで、泥をかぶって取り組む人材をどう集めるかが最初の大きなハードルになる。

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写真はイメージです(写真提供:ゲッティイメージズ)

テクノロジーから目を背けたままではデジタル庁の成功はない

 このように考えると、デジタル庁を成功させる鍵が組織の設置そのものにあるわけではないことが見えてくる。デジタル庁は行政機関全体のITシステムを見直す司令塔となるのだろうが、司令塔が優秀なだけでは前に進まない。

 できる限り内製でオープンなシステムとして再構築する実行力を抱えることが望ましいだろう。しかし政府機関内でそんなものを作れるのかといえば、早期になんてとてもできないだろう。

 となれば、複数の民間の開発リソースをうまく使い、行政機関ごとの事情を鑑みて長期的にメンテナンスをしながら、発展性のあるシステムなんて作れるのだろうか。きっと不可能ではないものの、そのためにはいくつかの条件があると思う。

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