ワークマンやカインズを育てた群馬発「ベイシアグループ」の正体:長浜淳之介のトレンドアンテナ(3/6 ページ)
高成長を続けて注目されるワークマンやカインズ。これらの企業は「ベイシアグループ」に属する。1958年、群馬県に誕生した「いせや」はなぜここまで成長したのか。
「一貨店を百つくる」という根本的な発想の転換
いせやから、82年にワークマン、89年にカインズ、96年にベイシアが分社化され、90年代には現在のようなベイシアグループの輪郭が見えてきた。なお、「ベイシア」は、ラテン語で「良・善」を意味する「BENE」と、「ISEYA」を合わせた造語。今風に言い換えれば「いせや2.0」のようなニュアンスだろう。
ちょうどこの頃には高度成長が終わり、大量生産、大量販売のありふれた商品では消費者が納得しなくなってきていた。
当時、「百貨店は専門性を高めて、五十貨店にならなければならない」「大型スーパーには何でも売っているが、買いたいものが何もない」とよく言われていた。
88年、西武百貨店の宣伝コピーに「ほしいものが、ほしいわ。」というものがあった。当時、名コピーを連発していた糸井重里氏の代表作の1つであるが、その頃の消費者の気分を表している。
90年代にはバブルが崩壊。百貨店は自主的な売場づくりを確立できずにいた。有力なアパレルなどに場所を貸す一種の不動産業のような体質から脱却できず、海外の高額ブランドが販売不振になって衰退していく。
また、80年にダイエーが小売業で初の1兆円企業となった。この頃から、分野ごとに専門業態が台頭。衣料品のユニクロ、しまむら、青山商事。家電ではヤマダ電機、ビックカメラ、ヨドバシカメラ。家具ではニトリ、大塚家具。こういったチェーンが、圧倒的なきめ細かい品ぞろえで、大型スーパーに対して消費者が抱いていた不満を解消していった。食品や文房具は、より身近な存在となったコンビニに侵食されて苦しくなった。
そうした時代の転換点に、土屋氏は“百貨店を五十貨店にする”程度のぬるい改革ではなく、“一貨店を百つくる”という根本的な発想の転換をした。百貨店からそれぞれの分野を解き放ち、分社を進めて事業を再構築した。結果として、強い専門性を持った業態の集団、ベイシアグループが形成されたのである。
ベイシアグループは、ダイエーのようなGMSを攻め立てる側に回り、ゲームチェンジにうまく対応。全ての分社化した業態が成功したとまでは言えないが、「失われた20年」と呼ばれる状況下でも成長を続けた。
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