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アイドルフェス「@JAM」仕掛け人に聞く「思い切って捨てる」覚悟アイドルプロデューサーの「敗北、信念、復活、成功」【前編】(1/2 ページ)

コロナで禍で奮闘しているのがポップカルチャーフェス「@JAM」の総合プロデューサーの橋元恵一さんだ。橋元さんはソニーミュージックグループに在籍し、絢香さん、ケツメイシ、山崎まさよしさんなどのビジュアルプロデュースを務めた。橋元さんが42歳まで取り組んできたビジュアルプロデュースの舞台裏を聞いた。

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 コロナ禍によってライブ・エンタテインメント市場は壊滅的な影響を受け続けている。ぴあ総研は「2020年の音楽フェス市場は98%が消失した」との調査結果を発表した。数多くの音楽フェスが中止や開催規模を縮小したため、20年の音楽ポップスフェスの市場規模は、前年比97.9%減の6.9億円へと激減。動員数も、9.3万人(前年比96.8%減)と大きく落ち込んでいる。

 そんな中、奮闘しているのがポップカルチャーフェス「@JAM」の総合プロデューサーを務める橋元恵一さんだ。橋元さんはソニーミュージックグループに在籍し、絢香さん、ケツメイシ、山崎まさよしさんなどのビジュアルプロデュースを務めた経験がある。

 国内を代表する多くのアーティストに関わりながら、波に乗っていた橋元さんは42歳の時に異動を命じられ、ひょんなことからアイドル業界の仕事に飛び込むことになった。その後10年間、橋元さんはアイドルフェスやグループのプロデュースを一から進め、今やアイドル業界で有数のポップカルチャーフェス「@JAM」の総合プロデューサーを務めている。

 インタビューの前編では橋元さんが42歳まで取り組んできたビジュアルプロデュースの舞台裏と、突然の異動を命じられた中で何を考えたのかを聞いた。


橋元 恵一(はしもと・けいいち) ソニー・ミュージックエンタテインメント/ライブエグザム。1967年東京生まれ。日本大学法学部卒業後、Tooを経て、1993年ソニー・ミュージックコミュニケーションズに入社。アーティストの販促サポートやビジュアルプロデュースを担当し、絢香、ケツメイシ、山崎まさよし、RAG FAIRなどのクリエイティブを担当。2010年、ソニー・ミュージックエンタテインメントへ異動し、ポップカルチャー音楽イベント『@JAM』を立ち上げる。現在では国内外にて年間30本以上のシリーズイベントの総合プロデューサーを担当。また、TOWER RECORDSとの共同レーベル『MUSIC@NOTE』のプロデュースや、「Gran☆Ciel(グラン・シエル)」などアイドルグループのプロデュースワークも精力的に行っている。『アットジャム〜日本一のアイドルイベントをゼロから育てた10年間』(ユサブル)を上梓(撮影:KAZAN YAMAMOTO)

絢香、ケツメイシ、山崎まさよしを担当

――現在の仕事に就く10年前、2010年当時は、どんな仕事をしていたのですか?

 ソニーミュージックのグループ会社ソニーミュージック・コミュニケーションズ(現ソニー・ミュージックソリューションズ)という会社で、代理店的な仕事をする部門にいました。主にクリエイティブを軸にした業務で、ソニーミュージック以外のレコード会社との仕事が中心の部門でした。

 ソニーグループにいながら、エイベックスやユニバーサル、ワーナーやトイズファクトリーなど、他社のレコード会社のビジネスのサポートをする、ちょっと変わった仕事だったんです。「何でソニーがエイベックスの仕事やるの?」と思われるかもしれませんが。

 例えば他社のレコード会社からデビューするアーティストのクリエイティブを一緒に作ったり、既存のアーティストの新プロジェクトのクリエイティブを担当したり……そういう仕事を受けるチームにいました。結果、入社から17年間は、ずっと他社のレコード会社の人との仕事に携わってきました。

――プロフィールに「絢香、ケツメイシ、山崎まさよし、RAG FAIRのクリエイティブを担当」とありますが、具体的にクリエイティブというのはどういう仕事なのですか?

 例えばデビュー前のタイミングで「このアーティストを秋にデビューさせます。楽曲はこういった方向で、ターゲットは〇〇で……」などとまずは話しを聞きます。それを受けて、どのようなクリエイティブにしていくか、デザイナーを誰にして、どういったデザインにするか。スタイリストやメークはどうするのか。MV(ミュージックビデオ)の作品の方向により、どの監督に依頼するのか。コンサートの衣装はどうするか。そうした一連の流れを作っていく仕事をしていました。

――いわゆるプロデューサーとも違うわけですか?

 当時は、ビジュアルプロデューサーという肩書でした。ですので、楽曲自体に関わったり、プロモーションをする担当ではなく、あくまでビジュアルにかかわるもの、そのアーティストの見え方や見せ方を提案して、物理的なモノに変えていく作業をずっとしていました。

――その仕事の中で、一番印象に残ったのはどんなものでしたか?

 やはりケツメイシですね。デビューから10年間担当し、多くの作品に関わらせてもらいました。特に印象深いのは「さくら」(2005年)というシングルのMVです。あの作品は今でも強く印象に残っています。

メガヒット制作の舞台裏 予算の大半をMV制作に充てた

――ケツメイシの「さくら」というと、ファッションモデルの鈴木えみさんがMVに出演していましたね。あのMVはどんな背景で制作したのですか?

 当時のケツメイシは、デビューから音楽好きな若者を中心に火がつき、どんどんと盛り上がってきていましたが、誰もが知っているアーティストではなかったのだと思います。そんな中、「さくら」という誰が聴いても心に残る素晴らしい楽曲が出来上がりました。メーカーとしても、この曲を勝負所として、いかに多くの人に伝えていけばいいのかを、当時の(アーティストの発掘・契約・育成と、そのアーティストに合った楽曲の発掘・契約・制作を担当する)A&Rと何日も検討を重ねました。

 その結果、この作品のメッセージをMVに集約して届けようとなり、全体予算の大半をMV制作に充てることになったのです。これはある意味“賭け”でしたが、それを受けて動き出しました。

――曲の良さを映像によって訴求しようとしたわけですね。

 ケツメイシのメンバーたちともミーティングを重ねて、どのようにすべきかのアウトラインが出来上がっていきました。ケツメイシのメンバーから、当時の雑誌『PINKY』(集英社が発売していた10代後半から20代の女性向けファッション雑誌)の専属モデル、鈴木えみさんを起用しようと提案があり、相手役は萩原聖人さんになりました。

 この2人で、「さくら」という曲の中で語られるストーリーをビジュアルに変えていくことになりました。脚本は、当時のフジテレビ月曜9時枠のドラマなど数々の作品を手掛けるヒットメーカー岡田惠和さんに書いてもらい、それを基にMVを作っていきます。普通は1日で撮影すれば十分なことが多いのですが、この時の撮影は3日間に及びました。

――通常では考えられない予算をかけた上に、撮影日数も多くかけたのですね。

 今は、デジタルのカメラで普通に撮ってしまいますが、当時は映画用の「35mmフィルム」を使い、クオリティーにもお金をかけて進めました。撮影が1月だったので、MVに出てくる桜の木も実際に作ってしまいました。東京・八王子の土手に埋めていて、夜中に誰かに桜を壊されると困るので、警備スタッフを24時間体制で置くなど、大掛かりなプロジェクトになってしまいました。

――ゼロから作っていく大変な作業ですね。絢香さんの「三日月」も当時大ヒットしましたし、MVも印象的なものでしたが、同様に工数をかけた仕事だったのですか?

 そうですね。絢香の「三日月」では本当に5メートルほどの電灯を作ったんです。本人にはその電灯の上に座ってもらい、歌ってもらいました。それをクレーン車から撮りました。「CGでいいじゃない」と思われるかもしれませんが、やっぱりリアルさを出したかった。監督たちと共にリアルさにこだわったことで、すてきな表情や画が撮れたのではないでしょうか。

――おおがかりな仕事でしたね。橋元さんの仕事に対する評価や、プロジェクトの成功を測る指標とは何だったんですか?

 私たちが作ってきたものに正解はなくて……結局は曲の力だったり、アーティストのパワーだったり、そういうものがヒットするか否かに起因しているわけです。私たちは、曲やアーティストに、ちょっとしたキッカケを与えるだけです。MVでいうと、多くの人に見てもらいやすい作品を提供しただけで、皆さんが本当に共鳴したのは楽曲の良さなわけなので、そこに私たちの仕事に対する答えはありません。

 とはいえ、ヒットが出ればアーティストのブランドが上がることになります。ですから、そういった視点では私たちの仕事に意味があったかどうかの答え合わせをする方法はあったかもしれませんが、突き詰めていえば勝ち負けがはっきりしないビジネスであることも確かでした。

 私たちの仕事に対して対価を頂く意味でいうと、MVを作ったら、制作予算(経費)から、プロデュース費を頂くわけです。ヒットしなかったから返してくれとか、値引きしてくれといったことはありません。「動いた分だけ頂く」。そういうビジネスをずっとしてきました。

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