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「歯ぐきが気持ち悪い」 ディスられていたガリガリ君が「国民的キャラ」になれたワケ今のガリガリ君、実は2代目(1/5 ページ)

「歯ぐきが気持ち悪い」「田舎っぽい」とディスられていたガリガリ君。国民的キャラになれた理由は「話題作り力」にあった。2021年で40周年を迎えるが、誕生からどのようなプロモーションがあっただろうか? 成功事例・失敗事例とともに振り返ってみる。

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 「”ガリガリ君”と言われて、最も印象に残っていることは何か?」――という質問をしたら、どんな答えが返ってくるだろうか。耳に残るCMソングや値上げを社長が詫びたCM、一瞬で売り切れとなったコーンポタージュ味など、いろいろな意見が出てくるだろう。

 「え? それ知らない」というプロモーションもあるかもしれない。なんせガリガリ君は1981年発売から今年で40周年を迎えるロングセラー商品だ。年間4億本を売り上げ、幅広い世代に愛される「国民的キャラ」となったわけだが、その地位を確立するまでには「話題作り」において、さまざまな失敗と成功があった。


国民的キャラクターの地位を確立した「ガリガリ君」(画像:赤城乳業より)

ガリガリ君はなぜ生まれたの?

 ガリガリ君を販売する赤城乳業の主力商品といえば、1964年に誕生したカップ入りかき氷「赤城しぐれ」だった。発売から順調に売り上げを伸ばしていたものの、70年代のオイルショックの影響で30円から50円に値上げを決めた。「他社も値上げするだろう」と踏んでいたが、予想が外れることに。大手アイスクリームメーカーは値上げを踏みとどまったのだ。


赤城乳業の「赤城しぐれ」(画像:赤城乳業より)

 赤城しぐれだけが値上げするという最悪の状態で、売り上げは激減。当時の売り上げの多くを占めていた赤城しぐれの不振により会社が傾きかけた。そんな「危機的状況」を脱すべく、開発されたのが「ガリガリ君」だった。

 子どもが遊びながら片手で食べられるかき氷を目指し、81年に誕生。最初はかき氷をそのまま型に入れて固めただけだったが、崩れやすかったり溶けやすかったりといった問題が発生。かき氷をアイスキャンディーでコーティングすることで今の形に落ち着いた。

 実は、最初の商品名は「ガリガリ」だったという。当時、専務だった井上秀樹会長の鶴の一声で”君”が付けられて、「ガリガリ君」となった。元気でわんぱくなガキ大将をイメージした男子中学生のキャラクターが誕生し、ソーダ・コーラ・グレープフルーツの3種類を発売した。


中学3年生のガキ大将をイメージした当時のパッケージ(画像:赤城乳業より)
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