45歳定年の波紋 「人材流動化」を生むのか、単なる「人材切り捨て」か:働き方の「今」を知る(1/5 ページ)
経済界で大きな話題を呼んだ「45歳定年制」。賛否両論だが、果たして本当に「人材流動化」を生み出すのか、あるいは「人材切り捨て」となるのか。悲しい結末に至らないためのカギを解説する。
9月9日、業界団体のセミナーに登壇したサントリーホールディングスの新浪剛史社長が、ウィズコロナの時代に必要な日本経済の活性化策について「45歳定年制を敷いて、個人は会社に頼らない姿勢が必要」と述べ、議論が沸き起こっている。同氏としては「終身雇用や年功賃金制など、従来型の日本の雇用モデルから脱却する必要性がある」という考えの下、「45歳定年制を導入すれば、人材の成長産業への移動を促し、会社組織の新陳代謝を図れる」との意図で発言したものだったようだ。
だが、世間では「体のいいリストラ。効果が見込めるなら、まずはサントリーから始めてみたらどうか」「45歳でクビになるということ? その年になって転職なんて普通の人には無理じゃないか」といった否定的な反応が相次いだ。世論を受け、翌10日の記者会見で発言の真意を問われた新浪氏は「定年という言葉を使ったのはまずかったかもしれない」としつつ、「45歳は節目であり、自分の人生を考え直すことは重要。スタートアップ企業に行くなど社会がいろいろなオプションを提供できる仕組みを作るべきだ」と本意を述べ、あらためて「『クビを切る』ことでは全くない」と説明した。
その後、経団連の十倉雅和会長も会見の席で「新浪氏の発言の背景には人材流動化の必要性がある」「労働市場の流動化が起こるのは結構なことだ」と、新浪氏の発言に賛意を示した。しかし、新浪氏の釈明に対しても「会社が面倒をみてくれるのも45歳までと考えたら、若手はやる気をなくしそう」「スタートアップはリストラ社員の受け皿ではない。来てもらってもスピード感など全くミスマッチになるだろう」といったネガティブな反響が見られた。
一方で経営者を中心に「働かないおじさんの面倒を65歳や70歳まで見るのはどう考えても無理」「実際、規定年齢までに一定の役職に就いてなければ辞めてもらうような仕組みは存在してるし、終身雇用や年功制が維持できないこれからの時代を考えると、45歳以降のキャリアは自己責任というのは当然のこと」と、新浪氏の見解に理解を示す声もあった。
氷河期世代を直撃?
ちなみに、筆者はまさに45歳。日本がバブル景気に沸いていたのは筆者が中学生のころだったが、気付けばいつの間にか不景気に突入していた。大学卒業時は空前の就職氷河期で、採用は大いに絞られており、なんとか滑り込んだ会社でも後輩がなかなか入ってこないため、いつまでも雑用にいそししんだ。リーマンショックを辛うじて生き延び、上が詰まっている中なんとか40代に突入し、ようやく年功序列の果実を味わえる――というタイミングで「45歳定年制」が提唱される。つくづく、氷河期世代は貧乏クジの当たりだけは良いと痛感させられたものだ。
45歳定年制によって組織人員の新陳代謝が進むことは間違いないが、定年対象となる当事者にとってみたらたまったものではない。若い内は明らかに割に合わない低賃金でハードワークを強いられ、年功序列でようやく安定した収入を得られる年代となったら、今度は家や車のローン、子どもたちの教育費など、最も出費がかさむタイミングで定年を宣言され、会社からは放り出されて再就職にも苦労する将来像を示されれば、感情的に反発したくなる気持ちも十分共感できるものだ。
一方で、高齢社員を抱えた経営者側の心情もよくよく理解できる。ただでさえ雇用保険料の半分を肩代わりして社会保障の一部を担っているというのに、さらに定年を延長して「65〜70歳まで面倒をみろ、でも大幅に給料を減らすことはまかりならん」と決められても、国がやるべき社会保障を民間企業にそこまで押し付けるな、と反発したくなるのも当然であろう。人口増加の割に高齢者の割合が少なく、経済成長を謳歌できていた時代ならまだしも、今や日本の人口において65歳以上の高齢者が占める割合は約3割と堂々の世界トップ。65歳まで会社が面倒をみて当然、といった意識の人が増えてしまっては困るのだ。
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