45歳定年の波紋 「人材流動化」を生むのか、単なる「人材切り捨て」か:働き方の「今」を知る(2/5 ページ)
経済界で大きな話題を呼んだ「45歳定年制」。賛否両論だが、果たして本当に「人材流動化」を生み出すのか、あるいは「人材切り捨て」となるのか。悲しい結末に至らないためのカギを解説する。
2025年4月に「高年齢者雇用安定法」が施行され、現行60歳の定年が65歳に引き上げられることが確定している。法律は13年に政府が改定したものだが、その議論の最中であった12年、当時の民主党政権下で開催された国家戦略会議の分科会において、まさに「40歳定年制」が提唱されていた。くしくもその分科会の委員で「定年の延長は大反対。45歳ぐらいから自分の第二の人生を考えさせるべき」「イノベーションが必要な産業を受け皿にすべき」と強く主張していた人物こそ、当時ローソン社長であった新浪氏その人であった。
委員会の報告書では「現在の60歳定年制は企業に人材が固定し、新陳代謝を阻害している」「(定年が65歳に延長されれば)若い人の雇用機会がますます減ってしまう」「定年後、新たな知識を得たうえで同じ企業で働くケースもあれば、経験を生かして起業するなど、民間非営利法人(NPO)に関わることなどを想定」といった内容が述べられており、今般の新浪氏発言と趣旨は何ら変わらない。
報告書では「このままでは50年には新興国との競争に敗れ、少子高齢化も止まらず『坂を転げ落ちる』」と警告しており、有識者も「転職や再チャレンジを支援できる仕組みがきちんと整備されること」や「定年後の所得保障や社員の再教育支援制度の整備」が必要と述べていた。当時に何かしらの手を打てていればよかったのだが、当時の労働界からは「40歳定年制は企業による安易なリストラを招く」と警戒され、事務局を務めた内閣府も「将来ビジョンとして各府省が適宜参考にするなどして活用してほしい」という姿勢で、結果的に何ら有効な具体策は実現しなかった。つまり、若年定年制にまつわる議論はこの10年間で全く進歩していないのだ。
「定年制」だけの議論は周回遅れ
この議論は、一つの会社が何歳に定年を設定するかという個別の問題ではない。国として経済をいかに発展させ、雇用をどのように守っていくか、そして仮に45歳で定年退職した場合、人並み以上の意欲や能力を持ち合わせない人でも、新たな職に就いて生計を営める仕組みをいかに用意するか、といった国家戦略レベルの話なのである。
そもそも定年制という仕組みは明治時代に始まり、もともとは労働者が早く辞めないようにするための引き留め目的のものであったが、平均寿命が伸びていき、年功序列に伴って高齢労働者の報酬が増えていくと、一定年齢で一斉に労働者を辞めさせる性格のものへと趣旨が変化していった。公的年金制度も時を経て支給年齢が55歳、60歳と上がっていき、26年には65歳となるが、低成長が30年以上継続している中で、年金支給の時点まで企業が賃金カーブを持続することは不可能だ。結果的に、60歳の定年後は再雇用で、賃金を半分以下に落とすということにならざるを得ない。
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