45歳定年の波紋 「人材流動化」を生むのか、単なる「人材切り捨て」か:働き方の「今」を知る(4/5 ページ)
経済界で大きな話題を呼んだ「45歳定年制」。賛否両論だが、果たして本当に「人材流動化」を生み出すのか、あるいは「人材切り捨て」となるのか。悲しい結末に至らないためのカギを解説する。
制度の導入に当たっては、45歳で定年となった人たちへの雇用の受け皿も必要だ。新浪氏が主張する通り、NPOやスタートアップなど「社会がいろいろなオプションを提供できる仕組み」が必要であることに異存はないが、ではその中高年を受け容れてくれるNPOやスタートアップはどこにあるのか。そもそもの大前提として、終身雇用が前提であった社会では高められるスキルセットが組織内向けに最適化されており「他の企業で通用する普遍的なスキル」という建て付けになっていない。
人材紹介など転職支援サービスの発展により、以前よりはだいぶ雇用流動化が進んできたとはいえ、わが国では中高年で組織を辞めた人が次の職を見つけやすい、また参画しやすい環境とはまだいえないし、転職回数が多い=組織になじめない、こらえ性のない人物、といったイメージもつきまとう。人材を受け容れる存在がないままで退職させるのは「流動化」ではなく、単なる「切り捨て」にすぎないのではないか。
そう考えると、45歳定年制も65歳定年制も、節目となる年齢こそ違えど、低条件での再雇用や、関連会社への出向・転籍、再就職支援など、定年退職者に提供できるソリューション自体は全く同一であり、単に「同じことをより低年齢でやろうとしているだけ」にすぎないように思われる。そのような体たらくでは、議論も何も進まないのは必然であろう。まだまだ社会自体が若年定年制に対して最適化されておらず、受け容れる土壌さえできていないのだ。
導入に向けて、まずやるべきことは?
本気でやろうとするのであれば、前提条件となっているわが国の労働法制や社会保障制度、それどころか働く人のマインドセット自体を根本から変革しないことには難しいはずだ。例えば、定年で再雇用をする際、これまでの報酬水準を無視して急激に給与を下げてしまうと現時点では「不利益変更」となり労務トラブルとなってしまうが、例えば報酬制度を年功給ではなく役割給中心に変革し、基本給を薄めに、役割給を厚めにすれば、役職定年で役職をひいたときに役割給が消え、安定した雇用と引き換えに必要最低限度の報酬が残る仕組みとなる。
そもそも年功序列的な報酬制度の場合、若いうちは働きに見合わない薄給で、年齢を経ることで後年になってから取り戻す仕組みであるが、65歳まで支払うべく見込んでいた報酬総額や、退職金のために用意していた引当金や積立金分を若いうちから支払っていけば割に合うケースもあるだろう。退職後に足りなくなりそうな分については、退職給付相当額を強制的にiDeCoとして積み立ててまかなえるようにすればよい。さらには解雇自体も金銭で解決できるようにするなど、退職・転職にまつわるデメリットをなくす制度設計が国レベルでできれば、45歳定年にこだわらなくとも理想は実現できるはずだ。
また、日本企業では世界的に見ても独自の「メンバーシップ型」の雇用慣行が一般的だ。建前として「全員が経営幹部になれる可能性がある」という平等性を売りにしており、それゆえに「全員が出世を目指して頑張る」という姿勢が大前提となる。賃金据え置き、異動や転勤、転籍、出向などの形で雇用が保証される代わりに、労働者は企業内の全ての業務に従事する「義務」が発生する。
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